2007年4月29日日曜日

海外日本語


表題はわたしの造語だ。いまだ日本語にない術後だろう。実際に日本以外の国で生活してみれば、日本語の違う表情がやはり気になる。

海外で生活している人々が使っている日本語は、総じて丁寧だ。自分の表現が間違っていないのか、きちんと意味を伝えているのだろうか、ひいては時代遅れだと言われはしないかと、日本語と並ぶ別の言葉が生活のなかで交差している分、いろいろな形やレベルで神経を使う。だから、たいていの場合「海外日本語」は分かりやすい。

一方では、語彙や言い回しは「表現の鮮度に欠けている」ということは否めない。海外での生活が長くなればなるほど、古い言葉が混じり、ときにはまるで保存されるべき、表現の化石のようなものにまで出会って、時の流れを感じさせられる。

反対へのはみ出しも見られる。日本語には英語などの語彙を簡単に取り入れて、カタカナ言葉の形で貪欲に吸収している。そのような傾向にあって、とりわけ英語圏で生活している人々の日本語は、カタカナ言葉への傾斜が避けられない。日常の生活の中で、日本にない事象や考えに出会う、特定の日本語を用いれば不要な連想が持ち込まれる、交流の相手にも同様の理解がある、などなどの理由により、ついつい気軽に英語をカタカナに書き出して、日本語の文章にそっと忍ばせてしまう。

バンクーバー旅行の間に、なにげなく街角に置かれた日本語無料雑誌を手に取ってみれば、さっそくそのような実例が目に飛び込んできた。巻頭リポートの最初の数行を読んだだけで、「フェアトレードの商品」「ディテールのデザイン」「オリジナルのレーベル商品」「ダブルオーナー」と、日本語としては分かるようで分からない表現がずらりと並ぶ。日本ではない、英語圏での生活の雰囲気は、このようなところからすでに溢れているものだ。

もともと言葉は生きものだ。「海外日本語」だって、多彩な日本語のために楽しい色合いを加えていると考えよう。

While Japanese is used outside of Japan, there are meny elements that one is hard to find them otherwise. One of the characters is the use of English words without seeking for proper Japanese expressions.

外来語であそぼう

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