2007年5月18日金曜日

「がんばります」


分かってはいるが、実際に生活してみて、まわりには「がんばります」という表現はやはり多く飛び交う。「がんばる」、「がんばろう」、「がんばって」。多くの場合、これを含め会話は真剣味も中身も伴わない。あくまでも挨拶なのだ。テレビをつければ、風水師が自分を頑張らせるためにという理由で仕事部屋を真っ赤に飾りつけ、コマーシャルの中では、一つひねくったキャッチフレーズとして、「頑張り過ぎない勇気」を用いる。

さてこれをどれかの外国語に訳そうと思えば、おそらくはまず一苦労。「ファイト」というのは、同じくコマーシャルのフレーズとしてずいぶんと楽しまれているのだが、これを英語話者に向かって発言してみれば、まずは怪訝な目で見返される。大げさにいえば価値観、文化の差、ということだが、そのような要素がすべて加算され、沈殿されたものが、このような挨拶用語に結集された、と考えられよう。

週末には、学生たちは一人ひとりホームステーに出かけた。日本語も文化も、そして人間もまったく知らないところに投げ出される思いで、一様に緊張しきった気持ちだった。そこで友人から掛けられた別れの挨拶は、「頑張って」でも、「行っていらっしゃい」でもなかった。「楽しんでください」というものだった。かれらに日本語を教える人には、ほほえましくて歯がゆい場面だった。言葉の正しい、間違いには、どこで線を引くべきだろうか。

Students were all very nervious while they were leaving for a homestay. The greating they exchanged at the moment of leaving was not "gabatte", but "tanoshinnde". It was an interesting moment to their language teachers.

あだ名

テレビから拾った話題を一つ。

「あだ名」が取り上げられた。もともと生活の至る場面、いろいろな段階でだれもが経験しているものなのだが、どうやらこれがビジネスにまで姿を現したのがニュースになった理由のようだ。会社の営業マンたちは、自分に「プラン太郎」だの、「カロリー花子」だのといった名前をつけて、これを名刺にまで印刷して、会社内外で使うようになった。いかにも営業らしい努力がにじませるような話題なのだ。

名前といえば、異なる文化の中ではその様相が大いに違う。中国なら、名前は時代の変化を映し出すものとして、その付け方や内容がどんどん変わる。カナダなら、移民の国らしく、多くの人はニックネームという軽い感じで自分に名前を付けて、読みやすくして、かつ男女の情報を対面するまえに相手に伝える。自分が実際に体験している文化が限られているが、もっともっと豊かな伝統やしきたりがあるはずだ。それを思い出せば、営業のためのあだ名って、いかにも日本のことに思われる。

眺めなおせば、ここでいっているあだ名とは、名前ではなくて苗字なのだ。日本の文化では、あだ名なら苗字として付けられるものだと、改めて気づいた。

The morning news was talking about a new trend of nicknames: people are using them for marketing promotion. In this case, people found a new nickname for his/her family name!

四こま:あだ名色々

2007年5月16日水曜日

ポイ捨て・白い象


今日は、一つ答えのないことを記して見る。

学生の一人が新宿の街角で撮った写真を持ってきて、説明を求めようとした。右の写真である。しかしながら、わたしにはさっぱり分からない。これはいったいなにを意図しているのだろうか。

標識の言いたいことは、およそ見当がつく。ポイ捨てと出ているから、空き缶などが対象になるだろうけど、ここではおそらくとりわけタバコの吸い捨て、歩きタバコのことを指すかと思われる。だが、そのような文脈には、どうして白い象が登場しなければならないのだろうか。インターネットで調べてみれば、新宿区、象のマーク、クリーンカー、など、これの裏づけとなる記事は何点も出ている。その中の一つは、象の形をしたクリーンカーを先頭にした街頭行進の写真まで載っている。でも、ここでは象とはどういうことをイメージにしているのだろうか。しかも標識では、それが禁止マークの輪の中に置かれている。いくら考えても思いつかない。街角の宣伝標識とは、簡単明瞭なはずだから、それを思うほどにもどかしい。

いうまでもなく、答えがないとしたのは、あくまでも自分のことだ。まったく気づいていないところに、意外にシンプルな理由があるに違いない。ご存知の方、どうぞ教えてください。(撮影: Evelyn)

This picture is brought to me by one of my students. It is for a campaign for not walking while smoking. However, why there is a white elephant? I do not have an answer for it.

子どもをタバコから守る会・愛知

内田さんという方からコメントをもらいました。「だめだゾウ」にオチがあるとのことです。これでなぞが一つ解けました。感謝。

2007年5月15日火曜日

プリザーブドフラワー


大学の同僚の一人は、郊外に家を持ち、大自然のなかから花を取ってきては乾燥させて飾りにしている。それが好評を受けているので、友人にもよく分けてあげている。そのようなきれいな花を日本語でどう呼ぶべきかは、ゆっくり考えたことがない。説明しなければならない場合でもあれば、「乾燥した花」と、英語の言い方をそのまま日本語にするだろう。

しかしながら、テレビを見てみると、思わぬ言い方を習いました。プリザーブドフラワーだそうだ。とりわけ母の日にあたる先週の週末あたりは、頻繁に話題に上り、それこそ高級なデパートとかで扱われるような、高級なイメージが伴うものらしい。

それにしてもしっくりしない表現だ。英語の言葉を日本語の語彙にするというようなケースなら、いろいろとあるのだが、このような、英語としても熟していない、場当たり的な表現をそのまま外来語として用いるというのは、あまり芸がなくて、速急ではなかろうか。こういう表現に上品さを求める、感じ取るという感覚には、ちょっと追いつかない。

花といえば、生け花。そのような豊かな伝統をもっている日本語だけに、もうすこし気の利いた表現が生まれないのだろうか。

Dry flower. In Japan, it is sold in an elegant department store and has a name of "preserved flower". To my mind, this is rather an extreme example of Japanese lown words.

JPFA

2007年5月14日月曜日

カンバセーション


英語を日常の言語にしている分、英語の単語をそのまま取り入れた長いカタカナ言葉はどうしても苦手だ。たとえば、「カンバセーション」。文字として読めば意味が取れず、かと言って声に出して読み上げてみると、発音がはたしてどこまで英語から脱出できるものやら、はなはだ不安だ。

このような言葉は、日本語としては成り立つものだろうか。パソコンでこれを入力しても一発で変換してくれない。これをタイトルとする有名な洋画があったが、たしか説明するための漢字表記を併用していた。おそらくほぼ通じるが、普通の日本語の語彙ではない、というボーダーラインにあるものではなかろうか。

学生たちが参加している語学研修のプログラムのハイライトの一つには、学生一人ひとりに「カンバセーションパートナー」を指定してくれたことだ。この称呼は、ほかのいくつかのところでも見かけられる。もうすこし「日本語らしい」ネーミングが出来ないのだろうか。「会話友」などは、おそらく無理だろう。考えてみれば、この言葉が表現するものが大いに流行ったとしても、「カンバパ」とかになることがオチだろう。

A word such like "conversation" has become to a Japanese katakana word. It is difficult to pronounce it in a Japanese way, but it seems people simply do not want to find a native Japanese word to replace it.

カンバセーション…盗聴…

2007年5月13日日曜日

漢字


日本の人々は、やはり勉強好きだ。しかもいろいろな分野の中では、漢字をテーマにするものが多い。漢字検定を始め、学校教育から社会人の生涯学習にいたるまで、漢字はつねに勉強する内容のトップに挙げられる。

おそらくこれとはかなり性格や性質の違うものだと思うが、日本語を学習する学生たちも、漢字の勉強で悩んでいる。ここ数日も、じつは複数の学生から、漢字をどうやって勉強したらいいのかと質問された。答えに窮した思いをさせられた。初心者を対象にすれば、漢字の書き方、文字の由来や意味などを記憶させることは、つねに優先課題だ。クラスで教えると、いかにして学生たちに絵を描くように漢字を書くのを止めさせて、これを文字として覚えさせるか、ということで苦心する。しかしながら、日本語をまともに勉強しようと志す学生には、問題は違うレベルにあるはずだ。いまのところ、ともかくつぎのように答えてみた。「漢字といえば文字を書いたり、読んだりとは思わないで、これはあくまでも日本語の語彙の勉強だという気持ちで取り掛かってください」と。どこまで理解してもらえるのだろうか。

一方では、そのような勉強を手伝ってあげたい。どうすれば一番有効なんだろうか。正規の授業には、おのずと限界がある。楽しくやりながら覚えてもらおうと思えば、なにが可能だろうか。学生たちが飛行機のなかでただただゲームに夢中だったのを目撃した。ゲームの店を覗けば、DSのコーナーには、「脳トレ」と称して、漢字をテーマするものは何点も置いてある。可能なアプローチなのだろうか。

A few students asked me how to learn kanji, a true question while they came to the real Japan. How can I help them?

漢字の渡り鳥

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