2007年5月26日土曜日

ボディーランゲージ

今日のタイトルの言葉、そのままでは日本語になっているのだろうか。普通の人なら、おそらくもうすこし言い換えてみたくなるような気持ちをもつところだろう。かと言って、「身体言語」、あるいは「身振り手振りで」と言い換えたところで、すっきりなるものでもなさそうだ。英語の語彙としては非常に身近に感じられるもので、その分、日本語ではさほど特別に捉えられていなくて、一つの言葉として認知されていないと言えよう。

「ボディーランゲージ」には、大きく考えれば二つのグループに分類できるかと思う。一つは無意識のうちに言葉の表現にしたくない、するつもりのないものを体で表してしまうこと。もう一つは言葉で表現しきれないものを動作でもって補ってみること、である。前者は警察による容疑者の尋問を思い出せばすぐ分かるものであり、後者はまさに「身振り手振り」という表現が指すところだ。

日本人の、さらに言えば日本語話者による「身振り手振り」のボディーランゲージで、つねに話題になるものはいくつかある。たとえば人の前あるいは人々の間を横切るときの、片手を前に持ち上げながら差し出すポーズ。日本語のクラスや日本語のテキストにまでときどき取り上げられるぐらいの、日本的なものである。それから、けっして「面白かった」と意味しないから笑い。テレビを見ていても、時にはプロのアナウンサまで含めた登場人物たちの、意味のない笑いには目を見張る思いだ。いうまでもなく、日本語を共通言語とする環境のなかでは、それ自体が一つの風景になっていると、目に映るものだと付け加えたい。

A English speaker may feel that Japanese speakers laugh a lot. In fact, for many situations, such laughter do not indicate that "it was fun".

言葉の散歩道

2007年5月24日木曜日

無印・むじるし・MUJI


学生たちの研究レポートには、MUJIという店の名前が出てきた。無知な私の目にはまずは一つのなぞとして映った。こんな名前の店、それもどうやら有名そうで、何だったっけ?本人に聞くよりも、まずはインターネットで確認してみる。そしてめでたく一つ勉強になった。なんのことはない、「無印良品」のことだった。学生たちは英語でのレポート提出なので、りっぱに正しい書き方をしている。そして、おかげで店の名前を目で読んでいるばかりで、口に出して話したことがないだけに、「むいん」と言ってしまうような恥をかかないで済んだ。

それにしても、MUJIという英語のネーミングは、日本語話者には、はたしてどのように感じられるものだろうか。一つの人為的な英語の言葉としては、言いやすい、すぐ覚えてしまう、これといった誤解を招くようなほかの語彙はそうはない、といったような利点はたしかにある。そして日本語の言葉を全部出してしまえば、MUJIRUSHIと、いっぺんにRUとSHIという、二つの英語話者には通じない音が入ってしまう。そういう意味では、ネーミングとしては傑作だと言わなければならない。ただし、日本語話者にとっての、言葉の半分を切り捨ててしまうという違和感、「ムジ」という言葉の響き、どう収拾をつけたらいいのだろうか。わたしの独りよがりの杞憂に終わりたい。

そういえば、日本語には、重箱読みという読み方のルールがある。「重箱」とは何ものかと、およそほとんどの人にはもう通じなくなった。これからは、「無印読み」だと言い置き換えてみるのも、一つの手かも。

"MUJI" is a famous chane-store in Japan. In fact, the name of the store in Enslish is only half of it in Japanese.

MUJIAWARD

2007年5月21日月曜日

プロ意識


友人と雑談して、つぎのような見解を聞いた。「日本人気質の一つは、そのプロ意識にあり」と。言い得たりと、感心しきりだった。

言葉使い、日本語の語彙などをとりあげてみてもそのような実例にはいくらでも出会う。理髪店に入り、ヘアカットを待っている間に、なにげなく傍に置いてある雑誌をめくってみれば、カットを頼むにあたっての用語は、絵を添えて細かく解説してある。明らかに美容師との会話以外では、おそらく絶対に必要のない言葉だが、それでも理髪店、美容店に入れば、知っておいて「得」、というような前提で編集されていた。読んでみて、だれでも準プロになれるといった錯覚を持たせてしまう、不思議な文章だった。

思えば、どのような国、文化の中でもプロがいる。そして、そのようなプロの人々の間にしか通用しないような言葉がある。しかしながら、そのような言葉を自分なりに理解し、応用し、それをもって、一人の人間がさまざまなプロの分野に立ち入ってみたいという願望を持つ、というのが、日本的なものかもしれない。

Every professional field has its own vocabulary. In that sense, Japan is unique that many normal people tend to learn and to use real special expressions.

用語集

2007年5月20日日曜日

表札

表札とは、典型的な日本の風景の一つだ。いったん街裏の路地に入ると、大小の玄関の脇に掲げられた表札は、その家の家主の名前を書き込み、道行く人を見つめる。ぴかぴかと光っているもの、風雨に晒されて年月を感じさせるもの、それぞれ違う表情を見せて、あまりにも日本的なものだ。

ふと考えてみれば、そのような表札だって、時代の流れとともに多くの変化を見せている。すこし昔からのものなら、一家の主を記すだけに留まらず、夫婦の名前を並べて掲げ、とりわけたまに夫婦別姓の場合など、やはり目を引く。いまなら、名前よりも苗字だけという様子がぐんと増えた。それもローマ字表記が多く見かけられるようになり、表札のもともとの役目が薄れてゆく。やがて個人情報保護などの意識から、表札自体が消えたり、あるいはほかのなにかの形に取り替えられることでも起こりうるだろう。

学生時代の一つの思い出がある。クラスメートの中ではめでたく結婚して、一軒家を借りて住む友人がいて、みんなから羨望の目で見られていた。その友人が新居に引越しして早々、表札を書くようにとわたしに頼んできたのだ。なぜか恐縮しきったことだけはいつでも思いに残った。

This is a very Japanese view: each house has a plate with all the residents' name right in the front of the gate.

(この記事について、はじめて読者のコメントをいただいた。表題となる言葉の間違いを指摘してくれた。感謝。さっそく直した。)

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