2007年5月5日土曜日

デパ地下


学生レポートのテーマの一つには、「デパ地下」があった。高級デパートだとは言え、地下売り場ならバーゲンにちがいないとの予想とのギャップから来たものだろうか、日本のデパ地下の食品売り場は、新鮮で、若者の好奇心を惹きつけているもようだ。

考えてみれば、この言葉は外来語にまつわるもう一つの現象を象徴的に提示してくれている。すなわちカタカナ言葉と在来の日本語との混合、そしてそのように生まれた組み合わせをさらに短くしたものなのだ。このような言葉は、生活の中ではけっして少なくはなく、普段はさほど意識しなくなるぐらい、自然な表現のなかに溶け込んだものである。たとえば、「色ガラス」、「あんパン」。注意して探してみれば、いくらでもあげられるのだろう。

日本語の昔の歴史には、「和漢混淆文」という文体があった。いまやその伝統が生まれ変わり、文体とまでは期待できなさそうだが、和洋混淆の言葉が現われたと言えよう。

In Japan, many department stores have a food floor(s) at their basement and the combination of "department" and "basement" became a popular term. This represents a unique joint of western and Japanese words.

日本語への旅

2007年5月4日金曜日

電話


電話。おそらくこれほど時代の変化をリアルに映し出す言葉がないのではなかろうか。

日本の街の風景の一つには、色で分類された電話がある。街角に置かれた電話は、その色により、使い方も、掛けられる範囲も違う。二十年ほどまえは、百円硬貨を十円のそれに両替してもらって、それをピンク電話の上に堆く並べて真剣な表情で電話器を握るといった人の姿は、けっして映画のなかだけのものではなくて、実際にあっちこっちで見かけられた。そのうちグリーンの電話が誕生して、高級感の電話ボックスが駅前などに現われたときは、りっぱなものだと、そのころの人々がみんなそう思っていた。いつの間にかグレー電話が現われ、さらにあれこれの会社の、形も掛け方もさまざまなものが電話の一角を所狭しと並べられた。それとともに、携帯電話というものが生活のなかに大挙して入った。

いまや電話といえば携帯を指す、というところまでなった。その証拠に、これまでにはけっして聞きなれていなかった「固定電話」という言葉が生まれた。時の流れとともに、変わらない言葉をもってめまぐるしく変わる内容に当てるという、やや妙な言語現象をわたしたちは実際に体験している。

In Japan, public phones on the street have a number of types based on the calling ability and the way of payment, and they are indicated by different colors. Now, a cellphone becomes more and more popular, and it has almost taken over the use of the word "phone (denwa)"

電話コレクション

2007年5月3日木曜日

慣用表現の意味


この頃、いくつかのところで慣用表現の意味、さらに言えば使い方の正誤についての議論を聞いたり、読んだりした。しかもその場合、なぜか実例として引き出されるのは、「鳥肌がたつ」という表現だった。

たしかにこの表現は、恐怖や戦慄など、普通の価値判断で言えば不愉快な場面に直面するときの感じを伝えるものだと教わる。一方では、最近の会話や文章には、予想を超えた素晴らしいことに出会ったときの、感動の大きさを表わすものとして多くの人々がこれを意識的に用いる。そこで、言葉の意味に敏感で、伝統にこだわる人たちが、思わず「鳥肌がたつ」思いをしてしまう。

言葉の意味が刻々と変わる。それを意識しないでついつい順応してしまうものもあれば、どうしても引っかかって、言葉の現場では立ち止って考えてしまうものもある。その中で、過激な用例は、議論の対象となる。ただし、たいていの場合、そのような議論が言葉の用法にさほど影響がないことを付け加えたい。あえて言えば、言葉の変化のためには、ささやかな道しるべとなることで意味があるかもしれない。。

One may want to remember this expressing, literally means "having goosebumps", this is used to express some horrified feelings, and to the recent time, even refer to extreme excitement.

新日本語の現場

2007年5月2日水曜日

「デパガ」


放送を聴いたら、「デパガ」という言葉が耳に飛び込んできた。文脈的には中性的なもののようだけど、わたしの感覚には、なぜかどうしても品がよくないように聞こえてしまう。

いうまでもなく、「デパートガール」を短くしたものだ。外来語は、音を伝えることを基本とするため、どうしても長い。そして、他の言葉とのバランスが一つの大きな理由だろうかと思うが、実際の使用の中では、これを短くしてしまう。似たような例はいくらでも簡単にあげられる。「デジカメ」「パソコン」「コンビニ」「セクハラ」。英語の語感からすれば、よくもこれで意味が通じるものだと思われがちだが、日本語で用いられたそういった言葉の数が、全体の語彙では圧倒的に少ないがために、意味伝達に無理がなさそうだ。むしろ日本文化の特徴をここでも形にしようとするがごとく、一つの言葉を精一杯に短く詰める。まるでそこまで詰められなければ、つまらない、とでも感じているかのように。

「デパガ」には、一つの可笑しな思い出を持っている。大むかし、始めて日本で勉強したころのことだ。同じく留学生の一人がデパートに入れば、「日本はすごい、ここの人形はまるで本物のようだ」と言って、デパガを触ろうとしたのだった。幸いグループで行動していて、まわりの慌てた友人に止められて、騒ぎにならかった。考えてみれば、デパートに大勢の美しいガールたちを置くということ自体、世界広しと言えども、日本ぐらいしかないのだ。

While foreign words are used in Japanese, people tend to cut them to shorter forms, such as "depa-ga" for "department store girls".

和製外来語

2007年5月1日火曜日

日本一長い駅名


これは先月の新聞で読んだ話題だ。松江市にある一つの美術館の閉館に伴い、ローカル線の駅の名前が変わった、とのこと。その駅の名前は、日本一長いと言われる。そんなこともあるのかと、ちょっと興味を持った。

そこで調べてみると、ウィキペディアには駅の看板まで写真に載せてくれている。ぱっとみて、さすがに長い。そして親切にも時間付きで日本一を名乗っている。どうやら知る人ぞ知る、当地ではかなりの自慢の種だ。

そこで駅の名前をじっくり読んでみると、乱れた日本語表記の手本がここにありとの思いがした。日本語の駅名には、カタカナと漢字、英文字を混ぜ、名前と苗字を区切りするための中点を名前の間に使い、英語表記の省略点まで入れて、どうしても見づらい。さらに、英文字の「C」はどう発音すべきかと、そのヒントを求めてローマ字の行に目を移すと、それはさらにわけが分からない。名前と美術館の二つの言葉を英訳にしていながら、最後の単語だけはローマ字表記。このような書き方は、だれのためのものだろうか。日本語を熟知していて、かつ英語も分かる人でないと、おそらく間違いなく立ち往生してしまうことだろう。

わずか一つの駅名、日本語のかな/漢字とローマ字だけの二行の表記に過ぎない。せめて理屈の通った、普通の通行客に分かってもらえるような書き方ができないのだろうか。不思議を取り越して、あきれたぐらいだった。

It was told that this is the station with a longest name in Japan. However, the way of writing of the name combines a number of writing system and carries out a confused result.

美術館の閉館及びその原因について

2007年4月30日月曜日

外来語の言い換え


日本語では、外来語が乱用されているとの嘆き声が聞かれて久しい。それに対応しないと、と有識者も、政府機関も、教育関係者もみんなあの手この手の提案をする。その中でも、約一年前に「国立国語研究所外来語委員会」が纏めた「『外来語』言い換え提案」というのが一つの典型を示す。その提案は、「分かりにくい外来語を分かりやすくするための言葉遣いの工夫」との副題を持ち、約二百語の外来語を取り出して、丁寧に置き換えの言葉を並べた。いかにも学者たちの仕事らしく、使用調査などの基礎作業も怠らなかった。当時は新聞やニュースにもかなり取り上げられたと覚えている。その実際の提案、いまから読んでいてもとても楽しい。

二つの例を見てみよう。リストの一番目にあげられたのは、「アーカイブ」。西洋のシステムを取り入れながら、在来の資料あるいはその集め方とは異なる、との自己主張を伴う施設などは、この言葉を多用していると思われる。だが、ここでは「保存記録」あるいは「記録保存館」、さらに場合によっては「史料」「公文書館」「文書館」などもよし、との提案だった。同じリストの最後の一語は、「ワンストップ」。こちらのほうはさすがに日本語の言葉としてはぎこちないが、なにせこれによって表現される概念そのものは在来の日本語にはそぐわない。提案された言葉は、「一箇所」、あるいは「一箇所集中」、「窓口一元化」、「総合窓口」だった。もとの外来語以上に日本語らしくない、というのはわたしの偏見だろうか。

提案をリストを読んでいて、外来語のある言語生活への苦慮や対応の苦労が、滲んでるぐらい分かる。しかしながら、はたしてこのような提言は、状況を変えることに役立つのだろうか。

Many English or European words are using in Japanese. There is a serious concern to limit the use of such words, however, it seems that no solution has been found so far.

「外来語」言い換え提案

2007年4月29日日曜日

海外日本語


表題はわたしの造語だ。いまだ日本語にない術後だろう。実際に日本以外の国で生活してみれば、日本語の違う表情がやはり気になる。

海外で生活している人々が使っている日本語は、総じて丁寧だ。自分の表現が間違っていないのか、きちんと意味を伝えているのだろうか、ひいては時代遅れだと言われはしないかと、日本語と並ぶ別の言葉が生活のなかで交差している分、いろいろな形やレベルで神経を使う。だから、たいていの場合「海外日本語」は分かりやすい。

一方では、語彙や言い回しは「表現の鮮度に欠けている」ということは否めない。海外での生活が長くなればなるほど、古い言葉が混じり、ときにはまるで保存されるべき、表現の化石のようなものにまで出会って、時の流れを感じさせられる。

反対へのはみ出しも見られる。日本語には英語などの語彙を簡単に取り入れて、カタカナ言葉の形で貪欲に吸収している。そのような傾向にあって、とりわけ英語圏で生活している人々の日本語は、カタカナ言葉への傾斜が避けられない。日常の生活の中で、日本にない事象や考えに出会う、特定の日本語を用いれば不要な連想が持ち込まれる、交流の相手にも同様の理解がある、などなどの理由により、ついつい気軽に英語をカタカナに書き出して、日本語の文章にそっと忍ばせてしまう。

バンクーバー旅行の間に、なにげなく街角に置かれた日本語無料雑誌を手に取ってみれば、さっそくそのような実例が目に飛び込んできた。巻頭リポートの最初の数行を読んだだけで、「フェアトレードの商品」「ディテールのデザイン」「オリジナルのレーベル商品」「ダブルオーナー」と、日本語としては分かるようで分からない表現がずらりと並ぶ。日本ではない、英語圏での生活の雰囲気は、このようなところからすでに溢れているものだ。

もともと言葉は生きものだ。「海外日本語」だって、多彩な日本語のために楽しい色合いを加えていると考えよう。

While Japanese is used outside of Japan, there are meny elements that one is hard to find them otherwise. One of the characters is the use of English words without seeking for proper Japanese expressions.

外来語であそぼう

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