2007年6月9日土曜日

語学留学


一ヶ月にわたる短期語学留学はあっという間に終わった。留学の正式な終了日は六月七日。しかしながらその日に東京から離れてカルガリーに戻ってきたのは、なんと引率の私ともう一人の学生だけだった。その学生も八月に一年の交換留学を控えての、言ってみればカナダへの「一時帰国」だった。残りの生徒たちは、短い日本観光、あるいはアジアの国へと、元気よく旅を続けている。

わずか一ヶ月の留学だったが、学生たちはほんとうによく頑張った。よく学び、よく遊び、よくしょべる。睡眠を、食事を飛ばしても、クラスやレポートの締め切りをきちんと守り、そして仲良く助け合った。いったいどこからそのような元気が来たのかと、つくづく不思議に思った。若ものたちのパワーを改めて認識した経験となった。

戻ってきてからは、「学生たちの語学力がよくなったか」と、周りから何回となく聞かれた。どうだろうか。あるいは、そもそも語学というものは一ヶ月で激変するようなものではない。どんなに優れた勉強の仕方でも、学習者を短期間に見違えるほどの飛躍を与えるようなことがないとひそかに信じている。ならば語学留学の真価はどこにあるのだろうか。学習者と学習内容との距離をいっぺんに縮めた、ということにあるのではなかろうか。すなわち語学にどんなに自信のない人でも、本ものの外国語の環境の中に放り込まれてしまえば、なんとかなる、話せば通じる、努力すれば上達に繋がる、という実感を身に付けるものだ。語学の飛躍があるとすれば、このような実感が一つの大きなステップに違いない。

学生たちの成長が待ち遠しい。

このようにして、この小さなブログも一通り当初の予定を完成した。書いていながら、楽しい時間を過ごせた。しばらくはこれを続けるようにしよう。更新の間隔を開いて、思いつきを記し続けよう。

The Credit Travel program has completed on June 7th. It was a great program and the most valuable thing is the real experience for each student to learn and to use the language in the real life. This will be an important step for the students for their future learning.

フォト日記

2007年6月6日水曜日

君とアリエール


日本にいないと、テレビコマーシャルが目に、耳に飛び込んでくることはまずない。インターネットなどからは、コマーシャルそのものを見ようと思えばできないことはなく、一昔まえの環境とはかなり違うようになった。しかしながら、コマーシャルはやはり無防備で無作為に入ってくるべきものだ。それだからこそ、繰り返し聞いているうちに、気づいてくることがある。

その中では、頻繁に登場し、かつおおかたよい印象を残しているのは、「君とアリエール」だ。洗剤の広告だから、これからの露の季節に向けて、いっそう露出度が高くなるだろう。

このキャッチフレーズの妙は、いうまでもなく言葉の響きにある。商品名はこの広告の設定のために付けたのだとはとても思えない。でも、とにかく聞いていて、心地よい。暖かい家族の中での「君」と「アリエール」、そして「君とあり得る」。このように答えまで書いてしまえばどこか落ち着きのなさも感じさせるが、フレーズの響きはそのような連想をはっきりと誘い出そうとしている。

このような言葉の遊びは、日本語の中では一つの定番だ。コマーシャルの作りにも枚挙に暇ない。古い考え方でいえば、掛詞。しかしここではおそらくそれにも当たらない。言葉のしゃれ、場合によっては駄洒落、といったところだろうか。

コマーシャルの終極の目的は、商品の認知度を植えつけることにある。その意味で言えば、新しい言葉を作り出すのも、言葉遊びをやってみせるというのも、あくまでも手段だ。そのような手段がもしも商品とともに大当たりをし、新しい言葉を作り出すことがあれば、それはすでにコマーシャルの役目を大きく上回ったことだけを記しておこう。

To mean two things at once, or to hint another issue with one prepared expression, this is a basic embellishment in Japanese. One can find many examples in TV commercials.

アリエール

2007年6月5日火曜日

熟成多加水麺


カタカナ言葉についての話題が続いた。今日は漢字言葉をとりあげる。

街を歩くと、看板の数はさすがに多い。そして、あまりにも情報が溢れていて、その中では明らかに必要としない、交流や伝達にはほとんど意味を持たないようなものがある。眺めていて、考えてみればみるほど、戸惑いを感じざるをえない。

たとえば、これは中華料理のチェーンの店に貼り出された広告の一部だ。麺の材料を説明している。「国産小麦粉」というのは、品質に拘る消費者への訴えとして頷ける。ただ「熟成多加水麺」とは、いったいどういうことだろうか。小麦粉を麺に仕立てるために、水を多用して、熟成させるといったような特別なプロセスだとの説明がサイトに載っている。そのような処理はきっとおいしさに関連があると素直に信じるとしても、一つの表現としては、どうしても抵抗を感ぜずにはいられない。漢字の並べ方は、日本語表現の基本に従っていない。もちろん中国語とはほど遠い。そもそも、「ジュクセイタカスイメン」とでも読むのだろうか。口に出して読めば、まずは確実に通じない。このようなフレーズを案出した人は、きっと口頭での伝達など、最初から考えていない。残されたのは、むしろ読めそうもないという言葉になんとなく高級感を求め、漢字の羅列に視覚的な効果を期待したのだろう。

はたしてこのような情報伝達の方法、漢字羅列ということへの感覚、どれぐらいの人が共鳴を持ちえるのだろうか。

Many new kanji words are created and introduced into the daily use every day. However, some of them do not have a strong potential of communication. Here is one such example.

ラーメン館

CAJLEニュースレター

学生たちとの語学研修の間にも、カナダでの日常的な仕事も続けている。その一つは、CAJLEニュースレターの編集である。素晴らしい編集チームの共同作業で、夏の号は時間通りに作成できた。わたしが担当しているコラムでは、このブログについて記してみた。カナダの日本語教師もこのブログを読んでくれることを願いつつ。

CAJLEニュースレター・巻頭言

2007年6月3日日曜日

アイリバー


電気製品をショッピングするのは、日本での短い滞在の楽しみの一つだ。店員たちは、みんなしっかりした知識を持っていて、対応が丁寧だ。それでも、普通はカラフルに用意されているパンフレットをじっくりと読んで吟味し、店員とたくさんの会話をしない。そこで、いざ口を開いてみれば、やはり日本語になっていない製品名に戸惑いを感じる。たとえば、今度、とても気に入った音楽プレーヤに出会った。名前は英語表記で、いかにも今風の「iriver」。それをついつい英語発音にしてしまい、店員はさすがに要領がよくて、すかさずカタカナ言葉で確認をしてくれた。「アイリバーでございますね。」言われてみれば、自分の要領なさに苦笑いした。

考えてみれば、この言葉には、英語のカタカナ発音のルール、特徴と問題点をすべて含んだと言えよう。「i」という母音は日本語になく、「アイ」という二つの母音に置き換える。一つの音が二拍になって倍になるが、もともとの発音に近い。「ri」にある母音は日本語にあるが、「r」はなくてつねに「l」と発音するから、自然と「リ」にする。「v」はなくて、日本語の子音の中で一番それに近い「b」に置き換え、「er」はなくて、「a」と「e」の中から近いほうを選ぶ。おまけに一つの母音が二つに、弱く発音した音節が強い一拍になったので、強く発音する最後の音節には倍の長さを与えて、長音とする。あわせて、アイ・リ・バー。

とても自然的な展開だ。ただし日本語になったものなので、英語での発音を持ち出したら、それこそヤボで、通じない。あたりまえの話だ。

While an English word being brought into Japanese and read in katakana, it has to follow Japanese rule of pronunciation. "iriver" is a perfect example to explore a few such basic rules.

iriver

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