2007年5月31日木曜日

~てほしい


これははたして一連の金属盗難の一件だろうか、それとも奇抜な盗賊物語に入るべきものだろうか。かつてテレビコマーシャルにまで登場したことのある黄金風呂が、丸ごとそのまま盗み出されてしまった。テレビ画面には、被害者のコメントが映し出される。かなり動揺した様子が、話し方に滲ませる。そしてそのハイライトには、つぎの発言があった。

「返してほしい。逮捕してほしい。」

これは、いうまでもなく自然な日本語だ。普通の日本人は、これを聞いて、被害者への同情がいっそう深まるに違いない。しかしながら、英語圏で生活していて、ついつい言葉を論理的に考えてしまうわたしには、立て続けに述べられた二つの訴えを理解し、その発想に追いつくために、やはり一瞬の空白を持った。この人が切実な表情をもって声を絞り出しながら語ったのは、まったく対立する立場の二つのグループの人間だった。いわば、犯人には、同情心をもって思い直して、盗んだものを返すように、そして警察にはさっそく行動して犯人を検挙してもらいたい、とのことだった。

日本語の中では、誰が、誰に対して、といった表現の要素は、言語の形よりも、言語の内容によって判断しなければならない。理屈で分かっていても、実際の用例の前では、やはり戸惑ってしまうことを改めて知った。

A general rule in Japanese is, while the situation is clear, the speaker will do all he/she can do to not indicate persons involved in the action. This is a rather extreme example.

黄金風呂

2007年5月30日水曜日

救済

これはかなり使い方の限られた言葉である。だが、ここ数日の日本の新聞やテレビにはこれが頻繁に登場し、さまざまな角度から議論されている。すなわち、五千万に上る人々の払った国民年金が行方不明になり、これをどう対応すべきかとのことだ。政府与党の提案では、特別法案を作り、これらの人々を「救済」する、ということである。

この言葉を始めて新聞などで読んだのは、すこし前の、いわゆる中国残留孤児についてのころだった。すでに老年に入ったそのような人々の生活環境のことがマスコミに取り上げられ、政府はいち早く「救済」との対応を打ち出した。政府からの助けの手があるものだと、日本のあり方を眺めながら、救済という言葉も妙に感銘を受けたと覚えている。

それに比べて、今度の場合、言葉としてむしろ唐突だ。そもそも年金の支払いを受けている政府自身の失敗だから、それを改めるというのが筋だろう。さらに言えば、礼儀を重んじる日本のことだから、謝りをし、弁償をする、ということまで考えられるのではなかろうか。そのようなところで、どうして弱者を助けてあげるというような文脈での用語が用いられうるのだろうか。支払いの記録がなくなったと言っても、もらったお金があるはずだから、なおさらその裏の理屈が分からない。

政治の世界に限らず、言葉は語彙の選択一つによって、物事の性格はがらりと変わってしまう。そして、だからこそ言葉に敏感な人はかならず意見を申し立てる。ことの推移を見守りたい。

A recent political issue is that, records on the payment of the National Pension for some 50 million people have been "lost", and to respond to this, the Government has a discussion to "save" the people who are intitle for the credit of the payment.

国会TV

カロリーカッター

朝起きてテレビを付けたら、料理の話題を早々に取り上げられている。人物紹介のコーナーらしく、カロリーを減らすという工夫が話題になっている。アナウンサーが連発するカロリー、カットといった言葉に混じり、スクリーンには、「カロリーカッター」と出ていた。読んでいて、思わず苦笑いをしてしまった。

思えばあまりにもいい加減な造語だ。英語の言葉を模擬っているというところだろうけど、そこで、日本語の語感はどうだろうか。なにせ「カッター」という普通の言葉になった外来語があるものだから、ここでの活用はいかにも唐突で、誤解を呼びやすい。このような造語を生み出し、あえて選び、興味津々に使うということは、興味深い。

活用と言えば、たとえばつぎのような用語も思い出される。「トラブった」。こちらのほうはいわば日本語の文例をなぞった活用の例だ。ただし「トラブらない」「トラブります」と聞いたことがない。あくまでも軽い気持ちで、楽しく言葉をいじった、といったところに、特徴があった。

言葉の表現は、通じることを大前提とする。その上、言葉遊び、言葉を気楽に置き換えたりして発想の奇を見せ、もって余裕を見せる。逆を言えば、正しい言葉、長続きの表現、ということを最初から目標としない。そのような言葉遣いの心構えをここ読み出したような思いがした。

Although they are called loan-words, many of them are not simply "borrowed" from other language. In stead, people may want to add certain changes to make the expressions colorful and fun.

独学英語道場

2007年5月27日日曜日

萌え~

週末になって、学生たちのグループの一つは秋葉原へ出かけた。一昔なら、免税品や掘り出し物の電化製品を目指す、というのが常識だったようだが、いまの若者には、そういうものが最初から目にないみたい。代わりに最初から堂々と宣言したのは、ずばり「メイドカフェ」だった。

電化製品とメイド、あまりにもミスマッチに見えてしまうのは、私だけだろうか。最初からジェンダーを消したところから生まれた、国籍も年齢も不明なアニメキャラクターには、どこにいまごろの若者をひきつける魅力をもっているのだろうか。これを文化の現象として考える人が多い。そしてなによりも一つの現象として現にそこにあるものだから、それを確認し、追認識して、あれこれと議論を展開してしまう。あるいはそれ自体、すでにいたって文化的な現象かもしれない。いずれにしても、不自然な発音法による、「萌え~」の連発、店に入れば、「お帰りなさい、主人さま」との掛け声、そして膝つくまでのポーズなど、一つひとつ感覚的に追いつかない。

考えてみれば、言葉って、長続きを前提に存在するとは限らない。その逆のケース、一過性のものだからこそ、言いようのない魅力と、一度は体験してみたいという衝動を掻き出すということもありえよう。それが流行という結果に繋がったのだろうか。

Students are aiming Akihabara, but not for electronic products. These days, pop-culture, along with unique expressions, forms another face of Japan.

秋葉原におけるメイド喫茶・コスプレ喫茶の歴史

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