2007年4月16日月曜日

ポッドキャスト


「ポッドキャスト」とは、いまや普通の日本語の言葉になった。わたしもそれを毎日のように楽しんでいる人の一人だ。日本からの気に入りのラジオ番組を小さなiPodに入れて持ち歩いていて、自分ひとりの時間がおかげで非常に有意義で楽しいものになった。

ポットキャストの仕組みや使い方はともかくとして、この言葉自体の意味を日本語のみで接している人ならどこまで分かっているのだろうか。はなはだ心もとない。ごく簡単に解説すれば、およそつぎのようなものだろう。言葉の由来は、あのアイ・ポッド。「アイ」とは、アイ・マックという新しいタイプのパソコンを世に送り出したアップル社の命名したもので、「individual(個人用)」の頭文字だとされる。そのシリーズものの一点としてアイ・ポッドが作られ、「ポッド」とは大豆のさや、転じて武器などの格納庫を意味し、とりあえず「個人用(音楽の)格納庫」といった意味だ。ちなみにこの「アイ」シリーズのつぎの作品はほぼ二ヶ月後に販売予定の「アイ・フォン」である。宣伝だけみれば日本のたいていの携帯電話が当然のように搭載している機能しか持たず、どこに人を惹きつける魅力があるのかいまだ分からないシロモノだ。「アイ・ポッド」に戻るが、その魅力とは、確立されたMP3のフォーマットをベースにしたことであり、音楽など音声の資料をいかに便利に提供することに工夫したところにある。おかげで在来の「放送」との合体が実現できた。英語の言葉遊びの定番として、「iPod」と「broadcast」の二つの言葉が合体して、「podcast」という新語が出来上がった。日本語に直せば、さしずめ「アイ・ポッドによる放送」というところだろう。造語の妙味は、まさに英語話者の人ならだれでも簡単に理解できるところにある。もともと、場合によってはこれが誤解を招くぐらいのオーバーなもので、あのアイ・ポッドがリアルタイムで放送をキャッチできるものだと不思議に思う人が後を絶たない。

そこでこの英語の言葉はそのまま日本語になった。自然なことに、「ボロードキャスト」という言葉を用いない日本語としては、この用語の意味は一向に伝わらない。一方では、言葉が伝わらなくても、それが指す中味が、言葉に頼らないでどんどん成長し、成熟することは大いに可能だ。「ポッドキャスト」はまさにその格好の実例だ。日本語の言葉としては、「放送」という意味合いを読み取れなくても、この技術の応用にはいっこうに差し支えはなかった。ポッドキャストとは、とにかくその素晴らしい中味と伴って人々の生活に定着していった。いわば、適当な訳語に辿りつくまえに、まるごと一つの外来のコンセプトとして、ポットキャストは日本でその市民権を得たのである。いまになれば、すでに生命を持ち始めた「ポッドキャスト」は、言葉としてより意味の分かりやすいものにたどり着く可能性を持たない。

一世風靡の電子製品には、ソニーの「ウォークマン」がつねに語り草になっている。英語の造語まで流行らせたものだから、文化的な現象だったと謳われていた。その目で見れば、ポッドキャストは、まさに国境を越えた今時の文化の花形だ。しかも一つの製品がまわりの産業まで巻き込んだという意味では、まさにもう一つの新たなスタンダードを立ち上げたといわざるをえない。

"Podcast" became to be a popular Japanese word. However, as there is a Japanese way to express "broadcast", most Japanese speakers do not know where does "-cast" come from, thus eventually they accepted this concept without knowing much about the meaning of the word.

YAHOO!ポッドキャスト

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