2007年5月6日日曜日

敬語


敬語は、一つの日本語の言語現象としてつねに特別視されている。これは日本語を外国語として習う学習者だけに留まらず、これを母国語として話している人々までそのように捉えがちだから、妙なことだ。

そもそも「敬語」というネーミングは、誤解を招く。日本語という言語の体系において、敬語とは、けっして「尊敬を表わすための表現」として捉え切れるものではない。ひいて言えば、尊敬を表わすのは、実際の敬語の使い方のほんの一部にすぎない。教科書通りの敬語で話しかけられていながらも、そこからは距離感だけあって、尊敬されているとは毛頭感じられないといったような状況を、われわれは生活のなかでどれだけ経験したのだろうか。

これには、学生時代の一つの思い出がある。外国人留学生として日本で生活してみれば、こちらから丁寧に言葉を選ぶことがあっても、さすが敬語で接されるような機会がなく、自分もそのような待遇を受けることを望んでいなかった。そこで、言葉の表現に自由を覚えはじめたころ、一つの特別な場において、敬語で話しかけられたのだった。それは、なんと商品の返却をめぐっての、店員とのやや強引な押し問答の中に飛び出されたのだった。「お客さんはそうおっしゃいますけど…」。それを聞いたあの一瞬、表現の本質を垣間見た思いがして、自分のなかではなぜかジンと来ました。

突き詰めて言えば、日本語の敬語とは、尊敬も含めたさまざまな人間関係、とりわけ人間の距離をはっきりさせるための表現方法なのだ。

最近では、文化庁は「敬語の指針」というのを纏めたと聞く。いたって人為的なルールをいきいきとした言語生活に押し付けたような思いがして、敬語の実態がいっそう見えにくくなった。

Learners of Japanese often have comments that keigo is difficult to understand. A main reason for this is the misleading of this name. To my mind, the entire system of this expression is not primarily used for respect, but rather to indicate the relationship between the speaker and the listener.

文化審議会・敬語の指針

1 件のコメント:

ビジネスマナーの敬語 さんのコメント...

とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。

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