2007年5月30日水曜日

救済

これはかなり使い方の限られた言葉である。だが、ここ数日の日本の新聞やテレビにはこれが頻繁に登場し、さまざまな角度から議論されている。すなわち、五千万に上る人々の払った国民年金が行方不明になり、これをどう対応すべきかとのことだ。政府与党の提案では、特別法案を作り、これらの人々を「救済」する、ということである。

この言葉を始めて新聞などで読んだのは、すこし前の、いわゆる中国残留孤児についてのころだった。すでに老年に入ったそのような人々の生活環境のことがマスコミに取り上げられ、政府はいち早く「救済」との対応を打ち出した。政府からの助けの手があるものだと、日本のあり方を眺めながら、救済という言葉も妙に感銘を受けたと覚えている。

それに比べて、今度の場合、言葉としてむしろ唐突だ。そもそも年金の支払いを受けている政府自身の失敗だから、それを改めるというのが筋だろう。さらに言えば、礼儀を重んじる日本のことだから、謝りをし、弁償をする、ということまで考えられるのではなかろうか。そのようなところで、どうして弱者を助けてあげるというような文脈での用語が用いられうるのだろうか。支払いの記録がなくなったと言っても、もらったお金があるはずだから、なおさらその裏の理屈が分からない。

政治の世界に限らず、言葉は語彙の選択一つによって、物事の性格はがらりと変わってしまう。そして、だからこそ言葉に敏感な人はかならず意見を申し立てる。ことの推移を見守りたい。

A recent political issue is that, records on the payment of the National Pension for some 50 million people have been "lost", and to respond to this, the Government has a discussion to "save" the people who are intitle for the credit of the payment.

国会TV

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