2007年5月5日土曜日

デパ地下


学生レポートのテーマの一つには、「デパ地下」があった。高級デパートだとは言え、地下売り場ならバーゲンにちがいないとの予想とのギャップから来たものだろうか、日本のデパ地下の食品売り場は、新鮮で、若者の好奇心を惹きつけているもようだ。

考えてみれば、この言葉は外来語にまつわるもう一つの現象を象徴的に提示してくれている。すなわちカタカナ言葉と在来の日本語との混合、そしてそのように生まれた組み合わせをさらに短くしたものなのだ。このような言葉は、生活の中ではけっして少なくはなく、普段はさほど意識しなくなるぐらい、自然な表現のなかに溶け込んだものである。たとえば、「色ガラス」、「あんパン」。注意して探してみれば、いくらでもあげられるのだろう。

日本語の昔の歴史には、「和漢混淆文」という文体があった。いまやその伝統が生まれ変わり、文体とまでは期待できなさそうだが、和洋混淆の言葉が現われたと言えよう。

In Japan, many department stores have a food floor(s) at their basement and the combination of "department" and "basement" became a popular term. This represents a unique joint of western and Japanese words.

日本語への旅

2007年5月4日金曜日

電話


電話。おそらくこれほど時代の変化をリアルに映し出す言葉がないのではなかろうか。

日本の街の風景の一つには、色で分類された電話がある。街角に置かれた電話は、その色により、使い方も、掛けられる範囲も違う。二十年ほどまえは、百円硬貨を十円のそれに両替してもらって、それをピンク電話の上に堆く並べて真剣な表情で電話器を握るといった人の姿は、けっして映画のなかだけのものではなくて、実際にあっちこっちで見かけられた。そのうちグリーンの電話が誕生して、高級感の電話ボックスが駅前などに現われたときは、りっぱなものだと、そのころの人々がみんなそう思っていた。いつの間にかグレー電話が現われ、さらにあれこれの会社の、形も掛け方もさまざまなものが電話の一角を所狭しと並べられた。それとともに、携帯電話というものが生活のなかに大挙して入った。

いまや電話といえば携帯を指す、というところまでなった。その証拠に、これまでにはけっして聞きなれていなかった「固定電話」という言葉が生まれた。時の流れとともに、変わらない言葉をもってめまぐるしく変わる内容に当てるという、やや妙な言語現象をわたしたちは実際に体験している。

In Japan, public phones on the street have a number of types based on the calling ability and the way of payment, and they are indicated by different colors. Now, a cellphone becomes more and more popular, and it has almost taken over the use of the word "phone (denwa)"

電話コレクション

2007年5月3日木曜日

慣用表現の意味


この頃、いくつかのところで慣用表現の意味、さらに言えば使い方の正誤についての議論を聞いたり、読んだりした。しかもその場合、なぜか実例として引き出されるのは、「鳥肌がたつ」という表現だった。

たしかにこの表現は、恐怖や戦慄など、普通の価値判断で言えば不愉快な場面に直面するときの感じを伝えるものだと教わる。一方では、最近の会話や文章には、予想を超えた素晴らしいことに出会ったときの、感動の大きさを表わすものとして多くの人々がこれを意識的に用いる。そこで、言葉の意味に敏感で、伝統にこだわる人たちが、思わず「鳥肌がたつ」思いをしてしまう。

言葉の意味が刻々と変わる。それを意識しないでついつい順応してしまうものもあれば、どうしても引っかかって、言葉の現場では立ち止って考えてしまうものもある。その中で、過激な用例は、議論の対象となる。ただし、たいていの場合、そのような議論が言葉の用法にさほど影響がないことを付け加えたい。あえて言えば、言葉の変化のためには、ささやかな道しるべとなることで意味があるかもしれない。。

One may want to remember this expressing, literally means "having goosebumps", this is used to express some horrified feelings, and to the recent time, even refer to extreme excitement.

新日本語の現場

2007年5月2日水曜日

「デパガ」


放送を聴いたら、「デパガ」という言葉が耳に飛び込んできた。文脈的には中性的なもののようだけど、わたしの感覚には、なぜかどうしても品がよくないように聞こえてしまう。

いうまでもなく、「デパートガール」を短くしたものだ。外来語は、音を伝えることを基本とするため、どうしても長い。そして、他の言葉とのバランスが一つの大きな理由だろうかと思うが、実際の使用の中では、これを短くしてしまう。似たような例はいくらでも簡単にあげられる。「デジカメ」「パソコン」「コンビニ」「セクハラ」。英語の語感からすれば、よくもこれで意味が通じるものだと思われがちだが、日本語で用いられたそういった言葉の数が、全体の語彙では圧倒的に少ないがために、意味伝達に無理がなさそうだ。むしろ日本文化の特徴をここでも形にしようとするがごとく、一つの言葉を精一杯に短く詰める。まるでそこまで詰められなければ、つまらない、とでも感じているかのように。

「デパガ」には、一つの可笑しな思い出を持っている。大むかし、始めて日本で勉強したころのことだ。同じく留学生の一人がデパートに入れば、「日本はすごい、ここの人形はまるで本物のようだ」と言って、デパガを触ろうとしたのだった。幸いグループで行動していて、まわりの慌てた友人に止められて、騒ぎにならかった。考えてみれば、デパートに大勢の美しいガールたちを置くということ自体、世界広しと言えども、日本ぐらいしかないのだ。

While foreign words are used in Japanese, people tend to cut them to shorter forms, such as "depa-ga" for "department store girls".

和製外来語

2007年5月1日火曜日

日本一長い駅名


これは先月の新聞で読んだ話題だ。松江市にある一つの美術館の閉館に伴い、ローカル線の駅の名前が変わった、とのこと。その駅の名前は、日本一長いと言われる。そんなこともあるのかと、ちょっと興味を持った。

そこで調べてみると、ウィキペディアには駅の看板まで写真に載せてくれている。ぱっとみて、さすがに長い。そして親切にも時間付きで日本一を名乗っている。どうやら知る人ぞ知る、当地ではかなりの自慢の種だ。

そこで駅の名前をじっくり読んでみると、乱れた日本語表記の手本がここにありとの思いがした。日本語の駅名には、カタカナと漢字、英文字を混ぜ、名前と苗字を区切りするための中点を名前の間に使い、英語表記の省略点まで入れて、どうしても見づらい。さらに、英文字の「C」はどう発音すべきかと、そのヒントを求めてローマ字の行に目を移すと、それはさらにわけが分からない。名前と美術館の二つの言葉を英訳にしていながら、最後の単語だけはローマ字表記。このような書き方は、だれのためのものだろうか。日本語を熟知していて、かつ英語も分かる人でないと、おそらく間違いなく立ち往生してしまうことだろう。

わずか一つの駅名、日本語のかな/漢字とローマ字だけの二行の表記に過ぎない。せめて理屈の通った、普通の通行客に分かってもらえるような書き方ができないのだろうか。不思議を取り越して、あきれたぐらいだった。

It was told that this is the station with a longest name in Japan. However, the way of writing of the name combines a number of writing system and carries out a confused result.

美術館の閉館及びその原因について

2007年4月30日月曜日

外来語の言い換え


日本語では、外来語が乱用されているとの嘆き声が聞かれて久しい。それに対応しないと、と有識者も、政府機関も、教育関係者もみんなあの手この手の提案をする。その中でも、約一年前に「国立国語研究所外来語委員会」が纏めた「『外来語』言い換え提案」というのが一つの典型を示す。その提案は、「分かりにくい外来語を分かりやすくするための言葉遣いの工夫」との副題を持ち、約二百語の外来語を取り出して、丁寧に置き換えの言葉を並べた。いかにも学者たちの仕事らしく、使用調査などの基礎作業も怠らなかった。当時は新聞やニュースにもかなり取り上げられたと覚えている。その実際の提案、いまから読んでいてもとても楽しい。

二つの例を見てみよう。リストの一番目にあげられたのは、「アーカイブ」。西洋のシステムを取り入れながら、在来の資料あるいはその集め方とは異なる、との自己主張を伴う施設などは、この言葉を多用していると思われる。だが、ここでは「保存記録」あるいは「記録保存館」、さらに場合によっては「史料」「公文書館」「文書館」などもよし、との提案だった。同じリストの最後の一語は、「ワンストップ」。こちらのほうはさすがに日本語の言葉としてはぎこちないが、なにせこれによって表現される概念そのものは在来の日本語にはそぐわない。提案された言葉は、「一箇所」、あるいは「一箇所集中」、「窓口一元化」、「総合窓口」だった。もとの外来語以上に日本語らしくない、というのはわたしの偏見だろうか。

提案をリストを読んでいて、外来語のある言語生活への苦慮や対応の苦労が、滲んでるぐらい分かる。しかしながら、はたしてこのような提言は、状況を変えることに役立つのだろうか。

Many English or European words are using in Japanese. There is a serious concern to limit the use of such words, however, it seems that no solution has been found so far.

「外来語」言い換え提案

2007年4月29日日曜日

海外日本語


表題はわたしの造語だ。いまだ日本語にない術後だろう。実際に日本以外の国で生活してみれば、日本語の違う表情がやはり気になる。

海外で生活している人々が使っている日本語は、総じて丁寧だ。自分の表現が間違っていないのか、きちんと意味を伝えているのだろうか、ひいては時代遅れだと言われはしないかと、日本語と並ぶ別の言葉が生活のなかで交差している分、いろいろな形やレベルで神経を使う。だから、たいていの場合「海外日本語」は分かりやすい。

一方では、語彙や言い回しは「表現の鮮度に欠けている」ということは否めない。海外での生活が長くなればなるほど、古い言葉が混じり、ときにはまるで保存されるべき、表現の化石のようなものにまで出会って、時の流れを感じさせられる。

反対へのはみ出しも見られる。日本語には英語などの語彙を簡単に取り入れて、カタカナ言葉の形で貪欲に吸収している。そのような傾向にあって、とりわけ英語圏で生活している人々の日本語は、カタカナ言葉への傾斜が避けられない。日常の生活の中で、日本にない事象や考えに出会う、特定の日本語を用いれば不要な連想が持ち込まれる、交流の相手にも同様の理解がある、などなどの理由により、ついつい気軽に英語をカタカナに書き出して、日本語の文章にそっと忍ばせてしまう。

バンクーバー旅行の間に、なにげなく街角に置かれた日本語無料雑誌を手に取ってみれば、さっそくそのような実例が目に飛び込んできた。巻頭リポートの最初の数行を読んだだけで、「フェアトレードの商品」「ディテールのデザイン」「オリジナルのレーベル商品」「ダブルオーナー」と、日本語としては分かるようで分からない表現がずらりと並ぶ。日本ではない、英語圏での生活の雰囲気は、このようなところからすでに溢れているものだ。

もともと言葉は生きものだ。「海外日本語」だって、多彩な日本語のために楽しい色合いを加えていると考えよう。

While Japanese is used outside of Japan, there are meny elements that one is hard to find them otherwise. One of the characters is the use of English words without seeking for proper Japanese expressions.

外来語であそぼう

2007年4月28日土曜日

BOOK-OFF


バンクーバー旅行の大きな楽しみの一つは、ダウンタウンの真ん中に出来たブックオフの店で時間を過ごすことだ。日本語の書籍なら外国に出ると値段が倍になるというこれまでの常識を覆してしまったことは、とにかくありがたい。北米の国ではさることながら、日本でも、古本流通にかつてない衝撃を与えたとの議論は、いまでも記憶に新しい。

もともとブックオフの名前は、どうやらローマ字表記を正式なものとされる。「book」も「off」も分かりやすい英語だから、英語をベースにした言葉に思われる。しかしながら、英語の感覚からすれば、いかにも妙な造語だ。あえて考えれば、「books off season」、「a book off the market」といったような用例が想像できるが、「boo-off」という組み合わせはどうしても落ち着かない。

そこで、この言葉の日本語としての意味はなんなのだろうか。はたして「値段が安くなった書籍」だろうか、それとも「流通の第一線から一度下げた書籍」だろうか。はたまたその両方を重ねて意味しようとしているのだろうか。私の感覚ではとても自明だとは思えない。

流行の言葉には、いわゆる和製英語が多い。和製である以上、英語でなくてもかまわない。この言葉も、その中の一例だと考えたい。

"BOOK-OFF" is a popular second-hand bookstore chain in Japan. However, this is a word made in Japan and I am not able to easily figure out the intended meaningis name.

イーブックオフ
BOOK-OFF

2007年4月27日金曜日

足袋・旅・度

形のうえでは、これは漢字表記の問題である。すなわち、特定の言葉を書き記す場合、どの漢字を用いるか、ということだ。たとえばテーマに掲げた用例、「足袋・旅・度」。口に出して読んで見ればすぐ分かるように、すべて「たび」と読む。実際、ここに挙げている三つの言葉は、読んでみないその関連には気づかないほど、互いにさほど関係がない。まったく違う言葉だと直感的に思う人だっているだろう。いうまでもなく、読み方が同じ以上、同じ言葉から来たものだと捉えるべきだろう。もともと同じ言葉の変容で、語彙発達の順番から考えれば、靴下を意味する言葉が、それが大いに活躍する旅行という言葉に意味が延長し、そして訪ねての回数を意味するようになったと推測できようか。もちろんこれはやや勝手な想像というレベルのもので、旅行という意味の言葉が靴下に展開されたというシナリオだってありえよう。

かなり似たような実例では、さらに「かみ」という言葉がある。おそらく「上」とはそのもともとの意味であり、広げて、体の一番上に来る「髪」を指し、人間よりは高い存在となる「神」を意味し、転じて、恭しくいただく「紙」となり、さらには一つの家族のなかで実際に力をもつ「カミさん」を言う。最後の例は、関西だけの使い方か。

ここでは、むしろ大事なのは、日本語としての一つの言葉が、だんだんその意味が拡大し、しかも漢字の表記にそれぞれの使い方が定着した、という道のりだろう。いわば漢字は、言葉の成長の年輪を記しているものだ。

週末にかけての、バンクーバーへの一泊の旅行をして、小奇麗な部屋の、VSTの宿より。

It is often an eye-opening experience for beginners while I introduce them the different meanings of "tabi" and "kami". They are good examples how Chinese characters record the change and development of Japanese vocabulary.

漢語表記の現状

2007年4月26日木曜日

ラーメン


夕べ、大学主催のあるパーティに出た。テーブルに座ってのゆったりした食事で、それも周りには親しい知り合いは一人もいなかった。知らない人との他愛のない会話を続け、話の話題にはおのずと日本に向けられた。共通の知識どころか、語彙も覚束ない会話のなかでの日本、いつも新鮮で刺激的なエピソードが飛び出す。昨日の場合、聞かれた質問に「日本のnoodle houseが有名だろう」があった。

一瞬なにを言われたのか、自分のなかにある語彙に置き換えることで精一杯だった。なんのこともない、ラーメンのことだった。それにしても、言葉が違うと、感じがこうも違うんだ。

考えてみれば、ラーメンという言葉の由緒が分からない。中国語から来た言葉だとされ、「拉麺」「柳麺」とも書かれるようだが、いずれもわたしの中国語の語彙にはない言葉なのだ。発音は「辣麺」に一番近いのだろうが、そのような中国語もない。「ラオ(手偏に労)麺」というものではないのかと勝手に思うが、実証があるわけではない。一説では、二十世紀の五十年代の終わりころになってようやく生まれた食事の形態であり、作られた言葉だとされるが、それにしても、ほんの半世紀ぐらいで、よくもここまで日本を代表するような食文化の風景の一角を担うようになったものだ。

ちなみに和英辞書に出たラーメンの英訳は、「ramen」「Chinese noodle in soup」とある。英語話者の平均的な感覚ではこのような訳が通じないということだけ記しておこう。

Noodle now is one typical Japanese meal. However, what would be the best English translation? Even more, where does this word come from? They are all mystery to me.

ラーメンデータベース

2007年4月25日水曜日

カラオケ・空オケ


「カラオケ」とは、実にユニークな日本語の言葉だ。その由来は、歌などの歌唱が付いていない、「空っぽのオーケストラ」といったところだろう。しかしながら「空オケ」とはだれも表記しない。いわば言葉の由来が分かっていても、あえてそこまで意識しなくても通じる、そこまで思いを走らせる必要を感じさせない語彙の部類に属する。

そして、いやま「カラオケ」は一つの娯楽の形態として、日本発の文化を端的に示す象徴的な実例になっている。音楽の伴奏に載せて思い切って歌い上げるということは、考えてみれば気持ちのいいことだ。その歌が共通していて、しかも歌っている人が互いに似たような音楽の才能の持ち主だったら、なおさら望ましい。このように、一つの娯楽の方法として、「カラオケ」はそのまま世界に通じる言葉になる。英語や中国語はもとより、周りの同僚に聞いたら、ドイツ語も、ロシア語も、フランス語もそっくりそのままこれを受け入れている。まさに数少ない和製世界語の一つなのだ。いうまでもなく、それぞれの言語のなかでは、「空っぽの」という意味はまったく顔を出す余裕がない。考えようによれば、これはまさに「ポッドキャスト」の反対側の実例だ。一つの日本語の言葉が、意訳ができないままそのコンセプトが一人歩きをし、意味の通じる訳語が生まれる可能性が求められないで世界の言葉になった。

商業ベースのカラオケ環境の提供とともに、パソコン使用の世界ではカラオケをいろいろな形で楽しむ可能性がたくさん生まれた。スタンダードの音楽にテキストファイルを用いてのカラオケ字幕作成は実に手軽にできるようになった。そう言うわたしも、今日の作業の一つとして、歌詞字幕を作成する方法の一つを覚えて、学生たちに日本の歌を習わせるファイルを作った。ちなみに、最初に選んだ歌はSMAPの「ありがとう」。学生たちに受け入れられるのだろうか。

"karaoke" is a good example that a Japanese word became a world-wide concept. Today, I learnt a way to make a computer lyric file. It is for a popular song by SMAP and I hope that my students may like it at the next class.

駄歌詞屋本舗

2007年4月24日火曜日

犯罪者の肩書き


日本からの毎日の映像ニュースは、NHKの番組のみだ。リアルタイムの夜の一時間のニュースは、毎朝の楽しみだ。

今日のニュースの一点、言葉の表現にはかなり引っかかった。イギリスから来た女性の殺害事件の判決で、容疑者無罪との内容だ。しかしながら、あくまでも証拠不足のための結果であり、ふつうにいう冤罪というものではなかった。というのは、容疑者となる人物は他の数件の殺人事件の罪で告訴され、かつすでに実刑判決を受けている。そのような犯罪者のことを、ニュースキャスターは、「○○社長」との連発だった。容疑者となる人物は逮捕された時点では不動産管理会社の社長だったようだが、でもどう考えてもそれがいまの肩書きだとは思えない。今現在の身分で呼ぶものだったら、被告、あるいは受刑者、というべきところだろうか。

日本語では、人の苗字を肩書き付きで呼ぶというのが礼儀だとされる。その肩書きが多種多様で、職業名、職名、官位などがあげられ、そこに話し手の敬意が込められる。肩書き、あるいは「様」を付け忘れた「呼び捨て」とは、初心者にありがちな間違いだと学生時代は繰り返し教われ、そして英語話者の学生たちに伝えるのも怠らなかった。それと考えあわせたら、これは逆のケースだと言えよう。敬意を払いすぎて、聞く人には非常に耳障りだ。

NHKの話し方は、いまの日本語の基準だという共通の理解を人々が持っている。その分、言葉の表現上のNHKウォッチングも、きっとたくさんの人々が試みているに違いない。有識者の意見を聞きたい。

As a basic rule, one has to address other people with his/her title in order to expressing the respect. On the other hand, we may also count into situations where such an address was somehow over-given.

NHKオンライン

2007年4月23日月曜日

辞書


思い出してみれば、日本語を習いはじめたころ、学校には図書館という施設をもっていなかった。そんな時代、辞書といえば、ただ一冊の日本語辞典。それも三十二人のクラスで共有し、辞書調べをするためには順番を待たなければならなかった。いまなら考えられない光景だ。

学生として日本に渡って、図書館や研究室の本棚を見れば、とにかく辞書というものの多さには圧倒された。古典研究の分野となると、メインの古典のタイトルには一冊の辞書というのが常識であり、源氏物語については十冊を下らないものがずらっと並び、それもどんどん新しいものの刊行が続いた。日本語の辞書の種類の多さは言うを持たず、一番規模の大きいものは二十冊だった。辞書というもんは、こうあるべきだと、日本文化への、いささかオーバーに言えば日本文化を通じて文明への開眼だった。

そのような辞書も、いつの間にか実用の第一線からじりじりと後退し、電子メディアに支配の座を譲りはじめた。もともと辞書というものは、電子メディアによく似合う。縦横に調べたり、目指すところに簡単にたどり着いたりするための機能は、紙に印刷されたいかなる索引にも優れている。電子辞書を丁寧に集めて、CD-ROMの棚に入れ始めたと思えば、いまやオンラインのものが主導を握るようになった。使う用途に沿った辞書さえ分かれば、じつに使い心地がよい。

電子辞書のおかげで、知識への求め方も、そして基礎知識の持ち方も否応なし変わった。身近のことで言えば、漢字の部首や画数を正しく把握することはほとんど期待されなくなった。かつては正確さが要求されたが、いまや辞書のほうがぐんとこっちに寄ってきて、「あいまい検索」とかいって、何でも親切に対応してくれる。昔に比べれば、はたして恵まれたというのか、それとも過剰に甘やかされたと捉えるべきだろうか。

このような傾向への不安も聞こえる。だが、いかなる抵抗や心配があっても、辞書が代表するような基礎知識の提供は、やがて空気や水のようにわれわれの周りを溢れる時は確実にやってくるだろう。それに伴い、われわれの知識も、教育の内容も変質することだろう。そのような時代の流れに対して、不安を感じて嘆くのか、それとも苦労して操縦するのかとで、立場が大きく異なるものだといわざるをえない。

The first culture shock I received when I went to Japan for the first time was that there were so many different types of dictionaries. These days, dictionaries became to get into our life in an electronic format. We all have to be ready to meet this change.

weblio

2007年4月22日日曜日

母音の発音


半年に一度の日本語教師会の研修会が開かれた。二部構成の後半には、先日、日本語弁論大会ですてきな司会で参加者を魅了した桑野さんを講師に迎えて、日本語の発音について語ってもらった。

日本語の発音へのアプローチは、いろいろと考えられる。五つの母音に絞って見ても、その音質、発音の方法、子音や後続する音節との組み合わせなどを基準に分類しようと思えば、おそらく無数のルールが纏められるだろう。ところで今日の研修会で紹介されたのは、意外にも感性的なものだった。基本的な口の開き方、発音の要領に加え、つぎのコメントが教わった。曰く、「あ」の音はあかるく、「い」の音はかわいく、「お」の音は知的に発音すべき、とのこと。すなわち日本語の発音をぜんぶ正しくこなせれば、それだけで明るくて、知的で、かわいい話し方になる。自分の発音ではそういうことがとても可能だとは思えない。しかしながら、日本語の話し方を観察する、楽しむための一つの手がかりを手に入れたような感じだ。

思えば、同じ日本語と言っても、分かる日本語、正しい日本語、美しい日本語と、その一つひとつはまったく次元の異なるものだ。発音とは、まさしくよりよい日本語をめざすための大事な階段だと言えよう。

Here is an unique approach to a beautiful Japanese pronunciation. It is, as for the five Japanese vowels, a shall be cheerful, i shall be cute and o shall be intellectual.

NHK日本語発音アクセント辞典・利用の手引き

2007年4月21日土曜日

ふりがな


「振り仮名」という呼び名は、どのように生まれたのだろうか。「振る」とは、「振りまく」、「振り回す」といった行為に関連する。したがって一つの文章に満遍なく仮名を散らばす、というイメージが伝わる。しかも振り仮名を「書く」などとは言わない。あくまでも「振る」のである。

思えば、これは日本語に漢字を用いるための付属的な結果だろう。漢字はどれも二つかそれ以上の読み方を持っていて、しかもその使い方は時代や状況によって生まれた語彙に付随して変容を続けてきた。だからこそ、振り仮名はただ文章力を持たない子供などだけを対象にする補助的なものではなく、書写される日本語の欠かせない一部分だ。このようなあり方は、この先も大きく変わることはなさそうだ。

日本語を外国語として学ぶ初心者の学生たちに向かって「振り仮名」を説明すれば、いつも余分なため息が聞こえてくる。「ひらがな」「カタカナ」のことを精一杯の努力で覚えたかれらには、この一言だけで無用のプレッシャーを与えかねない。そういえば、日本語にはさらに「送り仮名」「捨て仮名」があるんだ。日本語は奥が深い。

ちなみにパソコンを使えば、いまは英語バージョンのMSワードでも「Asian layout」と称して振り仮名に対応している。その機能の呼び名は、「phonetic guide」と言って、「音声的な補助」とでも訳すべきだろうか。(写真は長岡天満宮の境内にある看板の一部)

Each kanji in Japanese has two or more ways to read it. For this reason, in order to make the writing clear, Japanese article often requests furigana. This is a part of regular Japanese writing format, and in a computer word processing program, English MS Word, this is referred as "phonetic guide".

振り仮名表現の諸相

2007年4月20日金曜日

番地


日本の番地は、ややこしい。

「番地」とは、順番・番号をもつ土地、といったぐらいの意味だろう。問題はその順番はなにを基準にするか、ということだ。日本の場合、その番号が建物が面している大なり小なりの道路と関係がない。一つひとつの地域が任意に纏まり、その地域がさらに細かく分割されて番号が振り当てられる。したがって、その土地の番号が分かっていても、地図を広げてみなければその位置が分からない。

北米の町で生活してみれば、番地のあり方が相対的に見えてくる。ここでは番地のことを「ストリート・ナンバー」と呼ぶ。ストリートの名前まで数字にしているところには、たしかに素っ気無くて、町全体の新しさを感じさせる。だが、とにかく便利だ。建物とストリートの番号はそのままX軸とY軸の座標を成している。二つの番地を比較すれば、それの相対位置関係が一目で分かる。

たとえば東京の町を歩いてみると、番地を表記するきれいな看板が整頓されている。ただし、その土地のことがよく分からない通行者の便を考えてくれるものだったら、ただの番号ではなくて、それが位置する平面的な略図がぜひとも必要かもしれない。だれかそのような案を言い出さないのだろうか。

In Japan, even you knew a house number, it would still be difficult to find out the location. This all due to the numbering system. In short, a number is assigned based on a given area, but does not relate to the street or the road.

So-net 地図
BIGLOBE地図

2007年4月19日木曜日

今日は雪


四月も下旬に入る。日本では桜前線が福島県の鶴ケ城にまで北上し、テレビのニュース画面をにぎわせるのは、すでに気の早い鯉のぼりだ。しかしながら、ここカルガリーでは、朝目を開ければあたり一面の雪。思わずカメラを構えて、ベランダの一角を捉えた。

春が来ない。あるいは、雪のまま夏に突入してしまうかもしれない。

雪。これに因んだ言葉ならなにをあげるべきだろうか。すぐ頭をよぎるのは、「雪景色」、「雪化粧」、「雪深々」。なぜかどれも一世風靡した演歌のせりふだ。その一つひとつを思い返してみれば、どれも目の前の状況とマッチしているようで、どこかまったく関係のない、遠くかけ離れたものだ。

歌舞伎の世界では、「雪が鳴る」という。その雪の鳴る音は、太鼓の音に託される。となれば、目の前の静かで暖かい雪を見つめながら耳を欹てる。春の雨水にすぐ溶けてせせらぎと流れる季節の足音が聞こえそうだ。

It snows again, at the end of April. Never had this in many years, and it seems that in this year, the winter would never leave us along. However, when I try to listen to it, just following a Japanese expression, I can hear the sound of Spring...

雪たんけん館
SnowCrystals.com

2007年4月18日水曜日

言葉遊び

日本の街角で見かけた看板広告の一つ。タイトルの「こんばん和」とは、「今晩は、和(食)」とすぐに気づいた。これで看板の読み方のルールを心得たとばかりに、さっそくメニューのほうに目を移す。読み解くまでにはさすがに一苦労。試行錯誤に声に出して読み続けて、ようやく答えが見えてきた。どうやらつぎのような献立だ。


御夢烈・おんむれつ・オムレツ
素把月亭・すばげつてい・スバゲッティ
半場隅・はんばぐ・ハンバーグ
活気婦雷・かっきふらい・蛎フライ
相撲食佐門・すもうくうさもん・スモークサーモン
秘坐・ひざ・ピザ(略。絵をクリックして続きを挑戦してください。)

さすがに楽しい。知らず知らずにささやかなパズル解きの旅に誘われた思いになった。

解説するまでもなく、この言葉遊びは漢字とカタカナ言葉との距離をミソにしている。そして漢字の漢字たる所以の意味を無視して、それをただの表音記号として用いたのは、日本語における漢字使用の始まりだった。それが「万葉仮名」という。千年以上経ったいまにおいても、その万葉仮名という使い方は、人名や地名に残されて、完全に姿が消えたわけではない。いわば日本語の分かる人なら、その理屈を身に付けている。だからこそこのような言葉遊びに共感し、面白みを感じるのである。

もともとこれが飲み屋の広告のようだが、はたして和食なのか、洋食なのか、それとも和洋折衷なので、日本で生活していないわたしには、にわかに分からない。ちなみにこれが数年前の写真だ。同じ店がいまでもやっているとすれば、きっと新しいバージョンを出していることだろう。同じように楽しいに違いない。

It was an enjoyable challenge for me to read this advertisement from Japan. It applies kanji to express some popular western meal menu. As a principle, however, this way of using kanji represents a very old tradition, while Japanese people used Chinese characters only indicating sounds (syllables) but not meaning.

万葉仮名や年号の変換
ことば遊びの重箱

2007年4月17日火曜日

トイレ


学生たちには、自分でテーマを決めて東京を観察し、レポートするように要求した。戻ってきたテーマには、「トイレ」が入っている。日本のトイレ、どうやらそれだけで文化的な特徴を持っている。

思えばこれを表わす言葉がまず一つの風景を成している。普通のオフィスビルやデパートなど公共の場に入ってみれば、その標識には、おそらくつぎのものが平均に用いられている。「お手洗い」「便所」「トイレ」「W.C.」。それに絵標識、高級ホテルなどにみる「紳士」「淑女」、お寺などの由緒ある看板まで入れると、さらに多彩多様だ。異なる言葉が用途や用法の差をほとんど持たないで共存し、和・中・洋の完璧な折衷あるいは平等の観を呈する。

一つの事象にめぐって、それを捉える言葉が時の移り変わりに伴って変化し、あるいは使う主体や置かれる状況によって違う表現が選ばれるという言語の現象は、よく知られている。しかしながら、違う言葉が同じレベルで一つの事象を表わし、仲良く共存することは、おそらく日本語において一番簡単に確認できる現象だろう。

おかげで日本語学習の初心者たちには余計な苦労を強いる結果になることを付け加えたい。

There are a number of ways to indicate "washroom" in Japan. You can find them equally at signs in public places. These different expressions represent different origins in Japanese, Chinese and Western languages. It is, nonetheless, a headache for beginners of Japanese.

東京トイレマップ

2007年4月16日月曜日

ポッドキャスト


「ポッドキャスト」とは、いまや普通の日本語の言葉になった。わたしもそれを毎日のように楽しんでいる人の一人だ。日本からの気に入りのラジオ番組を小さなiPodに入れて持ち歩いていて、自分ひとりの時間がおかげで非常に有意義で楽しいものになった。

ポットキャストの仕組みや使い方はともかくとして、この言葉自体の意味を日本語のみで接している人ならどこまで分かっているのだろうか。はなはだ心もとない。ごく簡単に解説すれば、およそつぎのようなものだろう。言葉の由来は、あのアイ・ポッド。「アイ」とは、アイ・マックという新しいタイプのパソコンを世に送り出したアップル社の命名したもので、「individual(個人用)」の頭文字だとされる。そのシリーズものの一点としてアイ・ポッドが作られ、「ポッド」とは大豆のさや、転じて武器などの格納庫を意味し、とりあえず「個人用(音楽の)格納庫」といった意味だ。ちなみにこの「アイ」シリーズのつぎの作品はほぼ二ヶ月後に販売予定の「アイ・フォン」である。宣伝だけみれば日本のたいていの携帯電話が当然のように搭載している機能しか持たず、どこに人を惹きつける魅力があるのかいまだ分からないシロモノだ。「アイ・ポッド」に戻るが、その魅力とは、確立されたMP3のフォーマットをベースにしたことであり、音楽など音声の資料をいかに便利に提供することに工夫したところにある。おかげで在来の「放送」との合体が実現できた。英語の言葉遊びの定番として、「iPod」と「broadcast」の二つの言葉が合体して、「podcast」という新語が出来上がった。日本語に直せば、さしずめ「アイ・ポッドによる放送」というところだろう。造語の妙味は、まさに英語話者の人ならだれでも簡単に理解できるところにある。もともと、場合によってはこれが誤解を招くぐらいのオーバーなもので、あのアイ・ポッドがリアルタイムで放送をキャッチできるものだと不思議に思う人が後を絶たない。

そこでこの英語の言葉はそのまま日本語になった。自然なことに、「ボロードキャスト」という言葉を用いない日本語としては、この用語の意味は一向に伝わらない。一方では、言葉が伝わらなくても、それが指す中味が、言葉に頼らないでどんどん成長し、成熟することは大いに可能だ。「ポッドキャスト」はまさにその格好の実例だ。日本語の言葉としては、「放送」という意味合いを読み取れなくても、この技術の応用にはいっこうに差し支えはなかった。ポッドキャストとは、とにかくその素晴らしい中味と伴って人々の生活に定着していった。いわば、適当な訳語に辿りつくまえに、まるごと一つの外来のコンセプトとして、ポットキャストは日本でその市民権を得たのである。いまになれば、すでに生命を持ち始めた「ポッドキャスト」は、言葉としてより意味の分かりやすいものにたどり着く可能性を持たない。

一世風靡の電子製品には、ソニーの「ウォークマン」がつねに語り草になっている。英語の造語まで流行らせたものだから、文化的な現象だったと謳われていた。その目で見れば、ポッドキャストは、まさに国境を越えた今時の文化の花形だ。しかも一つの製品がまわりの産業まで巻き込んだという意味では、まさにもう一つの新たなスタンダードを立ち上げたといわざるをえない。

"Podcast" became to be a popular Japanese word. However, as there is a Japanese way to express "broadcast", most Japanese speakers do not know where does "-cast" come from, thus eventually they accepted this concept without knowing much about the meaning of the word.

YAHOO!ポッドキャスト

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