2007年5月20日日曜日

表札

表札とは、典型的な日本の風景の一つだ。いったん街裏の路地に入ると、大小の玄関の脇に掲げられた表札は、その家の家主の名前を書き込み、道行く人を見つめる。ぴかぴかと光っているもの、風雨に晒されて年月を感じさせるもの、それぞれ違う表情を見せて、あまりにも日本的なものだ。

ふと考えてみれば、そのような表札だって、時代の流れとともに多くの変化を見せている。すこし昔からのものなら、一家の主を記すだけに留まらず、夫婦の名前を並べて掲げ、とりわけたまに夫婦別姓の場合など、やはり目を引く。いまなら、名前よりも苗字だけという様子がぐんと増えた。それもローマ字表記が多く見かけられるようになり、表札のもともとの役目が薄れてゆく。やがて個人情報保護などの意識から、表札自体が消えたり、あるいはほかのなにかの形に取り替えられることでも起こりうるだろう。

学生時代の一つの思い出がある。クラスメートの中ではめでたく結婚して、一軒家を借りて住む友人がいて、みんなから羨望の目で見られていた。その友人が新居に引越しして早々、表札を書くようにとわたしに頼んできたのだ。なぜか恐縮しきったことだけはいつでも思いに残った。

This is a very Japanese view: each house has a plate with all the residents' name right in the front of the gate.

(この記事について、はじめて読者のコメントをいただいた。表題となる言葉の間違いを指摘してくれた。感謝。さっそく直した。)

2007年5月18日金曜日

「がんばります」


分かってはいるが、実際に生活してみて、まわりには「がんばります」という表現はやはり多く飛び交う。「がんばる」、「がんばろう」、「がんばって」。多くの場合、これを含め会話は真剣味も中身も伴わない。あくまでも挨拶なのだ。テレビをつければ、風水師が自分を頑張らせるためにという理由で仕事部屋を真っ赤に飾りつけ、コマーシャルの中では、一つひねくったキャッチフレーズとして、「頑張り過ぎない勇気」を用いる。

さてこれをどれかの外国語に訳そうと思えば、おそらくはまず一苦労。「ファイト」というのは、同じくコマーシャルのフレーズとしてずいぶんと楽しまれているのだが、これを英語話者に向かって発言してみれば、まずは怪訝な目で見返される。大げさにいえば価値観、文化の差、ということだが、そのような要素がすべて加算され、沈殿されたものが、このような挨拶用語に結集された、と考えられよう。

週末には、学生たちは一人ひとりホームステーに出かけた。日本語も文化も、そして人間もまったく知らないところに投げ出される思いで、一様に緊張しきった気持ちだった。そこで友人から掛けられた別れの挨拶は、「頑張って」でも、「行っていらっしゃい」でもなかった。「楽しんでください」というものだった。かれらに日本語を教える人には、ほほえましくて歯がゆい場面だった。言葉の正しい、間違いには、どこで線を引くべきだろうか。

Students were all very nervious while they were leaving for a homestay. The greating they exchanged at the moment of leaving was not "gabatte", but "tanoshinnde". It was an interesting moment to their language teachers.

あだ名

テレビから拾った話題を一つ。

「あだ名」が取り上げられた。もともと生活の至る場面、いろいろな段階でだれもが経験しているものなのだが、どうやらこれがビジネスにまで姿を現したのがニュースになった理由のようだ。会社の営業マンたちは、自分に「プラン太郎」だの、「カロリー花子」だのといった名前をつけて、これを名刺にまで印刷して、会社内外で使うようになった。いかにも営業らしい努力がにじませるような話題なのだ。

名前といえば、異なる文化の中ではその様相が大いに違う。中国なら、名前は時代の変化を映し出すものとして、その付け方や内容がどんどん変わる。カナダなら、移民の国らしく、多くの人はニックネームという軽い感じで自分に名前を付けて、読みやすくして、かつ男女の情報を対面するまえに相手に伝える。自分が実際に体験している文化が限られているが、もっともっと豊かな伝統やしきたりがあるはずだ。それを思い出せば、営業のためのあだ名って、いかにも日本のことに思われる。

眺めなおせば、ここでいっているあだ名とは、名前ではなくて苗字なのだ。日本の文化では、あだ名なら苗字として付けられるものだと、改めて気づいた。

The morning news was talking about a new trend of nicknames: people are using them for marketing promotion. In this case, people found a new nickname for his/her family name!

四こま:あだ名色々

2007年5月16日水曜日

ポイ捨て・白い象


今日は、一つ答えのないことを記して見る。

学生の一人が新宿の街角で撮った写真を持ってきて、説明を求めようとした。右の写真である。しかしながら、わたしにはさっぱり分からない。これはいったいなにを意図しているのだろうか。

標識の言いたいことは、およそ見当がつく。ポイ捨てと出ているから、空き缶などが対象になるだろうけど、ここではおそらくとりわけタバコの吸い捨て、歩きタバコのことを指すかと思われる。だが、そのような文脈には、どうして白い象が登場しなければならないのだろうか。インターネットで調べてみれば、新宿区、象のマーク、クリーンカー、など、これの裏づけとなる記事は何点も出ている。その中の一つは、象の形をしたクリーンカーを先頭にした街頭行進の写真まで載っている。でも、ここでは象とはどういうことをイメージにしているのだろうか。しかも標識では、それが禁止マークの輪の中に置かれている。いくら考えても思いつかない。街角の宣伝標識とは、簡単明瞭なはずだから、それを思うほどにもどかしい。

いうまでもなく、答えがないとしたのは、あくまでも自分のことだ。まったく気づいていないところに、意外にシンプルな理由があるに違いない。ご存知の方、どうぞ教えてください。(撮影: Evelyn)

This picture is brought to me by one of my students. It is for a campaign for not walking while smoking. However, why there is a white elephant? I do not have an answer for it.

子どもをタバコから守る会・愛知

内田さんという方からコメントをもらいました。「だめだゾウ」にオチがあるとのことです。これでなぞが一つ解けました。感謝。

2007年5月15日火曜日

プリザーブドフラワー


大学の同僚の一人は、郊外に家を持ち、大自然のなかから花を取ってきては乾燥させて飾りにしている。それが好評を受けているので、友人にもよく分けてあげている。そのようなきれいな花を日本語でどう呼ぶべきかは、ゆっくり考えたことがない。説明しなければならない場合でもあれば、「乾燥した花」と、英語の言い方をそのまま日本語にするだろう。

しかしながら、テレビを見てみると、思わぬ言い方を習いました。プリザーブドフラワーだそうだ。とりわけ母の日にあたる先週の週末あたりは、頻繁に話題に上り、それこそ高級なデパートとかで扱われるような、高級なイメージが伴うものらしい。

それにしてもしっくりしない表現だ。英語の言葉を日本語の語彙にするというようなケースなら、いろいろとあるのだが、このような、英語としても熟していない、場当たり的な表現をそのまま外来語として用いるというのは、あまり芸がなくて、速急ではなかろうか。こういう表現に上品さを求める、感じ取るという感覚には、ちょっと追いつかない。

花といえば、生け花。そのような豊かな伝統をもっている日本語だけに、もうすこし気の利いた表現が生まれないのだろうか。

Dry flower. In Japan, it is sold in an elegant department store and has a name of "preserved flower". To my mind, this is rather an extreme example of Japanese lown words.

JPFA

2007年5月14日月曜日

カンバセーション


英語を日常の言語にしている分、英語の単語をそのまま取り入れた長いカタカナ言葉はどうしても苦手だ。たとえば、「カンバセーション」。文字として読めば意味が取れず、かと言って声に出して読み上げてみると、発音がはたしてどこまで英語から脱出できるものやら、はなはだ不安だ。

このような言葉は、日本語としては成り立つものだろうか。パソコンでこれを入力しても一発で変換してくれない。これをタイトルとする有名な洋画があったが、たしか説明するための漢字表記を併用していた。おそらくほぼ通じるが、普通の日本語の語彙ではない、というボーダーラインにあるものではなかろうか。

学生たちが参加している語学研修のプログラムのハイライトの一つには、学生一人ひとりに「カンバセーションパートナー」を指定してくれたことだ。この称呼は、ほかのいくつかのところでも見かけられる。もうすこし「日本語らしい」ネーミングが出来ないのだろうか。「会話友」などは、おそらく無理だろう。考えてみれば、この言葉が表現するものが大いに流行ったとしても、「カンバパ」とかになることがオチだろう。

A word such like "conversation" has become to a Japanese katakana word. It is difficult to pronounce it in a Japanese way, but it seems people simply do not want to find a native Japanese word to replace it.

カンバセーション…盗聴…

2007年5月13日日曜日

漢字


日本の人々は、やはり勉強好きだ。しかもいろいろな分野の中では、漢字をテーマにするものが多い。漢字検定を始め、学校教育から社会人の生涯学習にいたるまで、漢字はつねに勉強する内容のトップに挙げられる。

おそらくこれとはかなり性格や性質の違うものだと思うが、日本語を学習する学生たちも、漢字の勉強で悩んでいる。ここ数日も、じつは複数の学生から、漢字をどうやって勉強したらいいのかと質問された。答えに窮した思いをさせられた。初心者を対象にすれば、漢字の書き方、文字の由来や意味などを記憶させることは、つねに優先課題だ。クラスで教えると、いかにして学生たちに絵を描くように漢字を書くのを止めさせて、これを文字として覚えさせるか、ということで苦心する。しかしながら、日本語をまともに勉強しようと志す学生には、問題は違うレベルにあるはずだ。いまのところ、ともかくつぎのように答えてみた。「漢字といえば文字を書いたり、読んだりとは思わないで、これはあくまでも日本語の語彙の勉強だという気持ちで取り掛かってください」と。どこまで理解してもらえるのだろうか。

一方では、そのような勉強を手伝ってあげたい。どうすれば一番有効なんだろうか。正規の授業には、おのずと限界がある。楽しくやりながら覚えてもらおうと思えば、なにが可能だろうか。学生たちが飛行機のなかでただただゲームに夢中だったのを目撃した。ゲームの店を覗けば、DSのコーナーには、「脳トレ」と称して、漢字をテーマするものは何点も置いてある。可能なアプローチなのだろうか。

A few students asked me how to learn kanji, a true question while they came to the real Japan. How can I help them?

漢字の渡り鳥

2007年5月12日土曜日

ぐっすり美人


電車に乗ったら、広告はやはり多い。満員の車両のなかに身動きもできないままにいると、つい広告のせりふを繰り返し眺めてしまう。言葉表現のサンプルはここにあり、と感じて、いつもながら感心する。

そばにいる学生は、指差して説明を求めてくる。キャッチフレーズは簡単で、「めざせ!ぐっすり美人」とある。初心者の学生なので、どうやら分かったのは、美人だけ。あとの平仮名言葉は、分かりそうで分からないという。命令形だの、擬態語だとと、言語教師なら普通のクラスなら一通りタッチしておかなければならないことを思い切って簡単な形で伝えてみた。そこで、はじめて気づいたのだが、そういった知識を持っていても、このフレーズの意図するところが伝わらないんだ。いうまでもなく「虞美人」という言葉が下敷きになり、その響きがあるからこそ、「ぐっすり美人」が生きてくる。そのようなことは、言語の環境で生活すると、自然に身に着いてくるものだが、これをいざクラスの知識として伝えようと思えば、どうしても無理が出てしまう。

言葉を外国語として教えると、表現と表現のうしろにあるものをどこまでカバーしなければならないことだろうか。いつもながら考えさせられるテーマである。

Here is a very simple catch phrase from a advertisement poster. However, without some culture knowledge, it is rather hard to understand why it is a fine line.

日本語を楽しもう!

2007年5月11日金曜日

「らくがき厳禁」


街角を歩くと、日本はやはり看板が多い。店の名前や広告などもさることながら、静かな裏道などに貼られる公共の看板はまた目立つ。看板そのものは、日本の街の景観を成していて、ときには、その景観を台無しにしたと思えてならない。

看板の書き方には、ルールあるいは嗜好があるのだろうか。あるいはそんなものがないと考えたほうが自然だろう。しかしながら、好まれそうな傾向もみられる。楽しい一例は、かなと漢字の組み合わせ。単純に漢字の使用法、頻繁度などで考えて説明するものではなく、むしろ一つのパターンだ。たとえば「らくがき厳禁」。さらに「ちかん注意」、「ひったり注意」などなど。考えてみれば、漢字言葉をかなに書きなおすことで、人に音を出して読んでもらうという意図はまずあるだろう。それよりも、このようなマイナスな行為の表現については、それを一目で分かる漢字で書かないで、目に訴えることを狙わないかな書きにすることによって、町の景観への最小限の配慮もたしかに働いていることだろう。

さいわい公共の看板には、内容からいえば禁止が中心で、奨励が少ない。奨励ものまで看板になってしまったら、町はこれ以上に文字に埋まれてしまうのではないかと、勝手に想像しながら。

Here is a patten of Japanese public signs, using a combination of kana and kanji. As many of them indicate prohibition of some negative manners, this arrangement plays a rule of softening the impact of the writing.

まちの落書き消し隊

2007年5月10日木曜日

「あ、しあわせ!」


若い学生たちを連れて、一ヶ月の語学研修。いうまでもなく、言葉というものが学習者たちの努力や能力にどれだけ溶け込むか、わくわくして眺めているものである。

言葉を吸収するプロセスはとにかく興味深い。クラスではどんなに苦労して説明してあげても、実際の生活の中での会話のいきいきしたものと比べれば、色褪せをしてしまう。たとえば、よく話題になるのは、望ましくないスラムの言葉を外国語学習者がいとも簡単に覚えてしまうことだ。かれらの言葉のレベルに合わないまま、あるいは無邪気な会話の中にまじっただけに、そのような品のない語彙が耳障りなものだ。しかしながら、一方では、非常に上品で、あるいはすごく気持ちが伝わるような会話も飛び出してしまう。バスの何に乗って、道路標示に出た「渋谷」「新宿」などの文字を見たときの歓声は素直で素晴らしい。初めてのラーメン屋に入ったら、一人の学生はスープを一口飲んで、「あ、しあわせ!」と言った。どこでそういう会話を覚えたのやら、傍で聞いていて、ただただ感心しきり、だった。

学生たちの進歩は、クラスでの講義から得た知識を元にしたもので、そこからの飛躍だと思いたい。語学研修を通じて、学生全員というわけにはいかないが、何人かはその日本語能力が確実に化ける。教える立場にいるものとして、かれらと喜びを分かち合うものだ。

While leading a group of students to Japan, it is always a great joy to see how much they can handle the language, and get the most from this very short period of time.

フォト日記

2007年5月9日水曜日

ニュースレターの投稿

学生たちを連れて、一路東京にやってきた。旅と、時差と、それから学生たちが落ちづくまでの細かなことへの対応、ふだんの生活のリズムに戻るにはすこしは時間がかかりそうだ。

今日のところ、これまでの原稿をまとめたのをリンクしよう。ささやかなニュースレターだが、それでもかかわって4年近くなった。いまだ一読の価値があるのだろうか。

CAJLEニュースレター・巻頭言

2007年5月7日月曜日

マニュアル敬語


昨日の話題を続ける。

あらためて「敬語の指針」を読むと、その中には特別に「マニュアル敬語」という項目を立てた。ここでは、実際に会社の新人などを対象に作成されたマニュアルを取り上げ、過剰になることは望ましくないが、一つの表現のアドバイスとしては機能しているのではないかと、あいまいにして中庸的なアプローチを取った。

しかしながら、巷では「マニュアル敬語」といえば、そう温厚に捉えていない向きがある。その呼び名は、さらに「ファミレス敬語」「コンビニ敬語」「バイト敬語」などとさまざまなバージョンを持つ。すぐに思い浮かぶのは、例の「千円から預かります」といった表現だ。そもそも領収しなければならない場面だから、「預かる」とは内実に合わず、そして手に入れたのはそっくり千円そのものだから、「から」とはいったい何をニュアンスにしようとするのか、理屈っぽく考えれば考えるほどわけが分からなくなる。

このような「マニュアル敬語」とは、あくまでも特定の仕事に従事する人々の、決まった状況のもとでの用語である。したがって、以上のような理屈云々で議論し、ひいては非難したところで、コンビニでの会話を変えることはないことだけは、確かだろう。ここでは、むしろそれを敬語として考えることが、ことの本質をぼかしてしまうのではなかろうか。そのような表現は、むしろ一種の職業用語であり、敬語のあり方についての議論に参加させないことが、有意義かもしれない。

「マニュアル敬語」ではなくて、『敬語マニュアル』と題する本が出版されている。そこでは以上のような表現を取り上げていないことを祈る。

In Japan, at a place such a convinient store, one may often hear some expressions that is rather over-polite. There is a new name for such expressions, "manual honorific expressions".

マニュアル敬語について考える
マニュアル敬語論

2007年5月6日日曜日

敬語


敬語は、一つの日本語の言語現象としてつねに特別視されている。これは日本語を外国語として習う学習者だけに留まらず、これを母国語として話している人々までそのように捉えがちだから、妙なことだ。

そもそも「敬語」というネーミングは、誤解を招く。日本語という言語の体系において、敬語とは、けっして「尊敬を表わすための表現」として捉え切れるものではない。ひいて言えば、尊敬を表わすのは、実際の敬語の使い方のほんの一部にすぎない。教科書通りの敬語で話しかけられていながらも、そこからは距離感だけあって、尊敬されているとは毛頭感じられないといったような状況を、われわれは生活のなかでどれだけ経験したのだろうか。

これには、学生時代の一つの思い出がある。外国人留学生として日本で生活してみれば、こちらから丁寧に言葉を選ぶことがあっても、さすが敬語で接されるような機会がなく、自分もそのような待遇を受けることを望んでいなかった。そこで、言葉の表現に自由を覚えはじめたころ、一つの特別な場において、敬語で話しかけられたのだった。それは、なんと商品の返却をめぐっての、店員とのやや強引な押し問答の中に飛び出されたのだった。「お客さんはそうおっしゃいますけど…」。それを聞いたあの一瞬、表現の本質を垣間見た思いがして、自分のなかではなぜかジンと来ました。

突き詰めて言えば、日本語の敬語とは、尊敬も含めたさまざまな人間関係、とりわけ人間の距離をはっきりさせるための表現方法なのだ。

最近では、文化庁は「敬語の指針」というのを纏めたと聞く。いたって人為的なルールをいきいきとした言語生活に押し付けたような思いがして、敬語の実態がいっそう見えにくくなった。

Learners of Japanese often have comments that keigo is difficult to understand. A main reason for this is the misleading of this name. To my mind, the entire system of this expression is not primarily used for respect, but rather to indicate the relationship between the speaker and the listener.

文化審議会・敬語の指針

2007年5月5日土曜日

デパ地下


学生レポートのテーマの一つには、「デパ地下」があった。高級デパートだとは言え、地下売り場ならバーゲンにちがいないとの予想とのギャップから来たものだろうか、日本のデパ地下の食品売り場は、新鮮で、若者の好奇心を惹きつけているもようだ。

考えてみれば、この言葉は外来語にまつわるもう一つの現象を象徴的に提示してくれている。すなわちカタカナ言葉と在来の日本語との混合、そしてそのように生まれた組み合わせをさらに短くしたものなのだ。このような言葉は、生活の中ではけっして少なくはなく、普段はさほど意識しなくなるぐらい、自然な表現のなかに溶け込んだものである。たとえば、「色ガラス」、「あんパン」。注意して探してみれば、いくらでもあげられるのだろう。

日本語の昔の歴史には、「和漢混淆文」という文体があった。いまやその伝統が生まれ変わり、文体とまでは期待できなさそうだが、和洋混淆の言葉が現われたと言えよう。

In Japan, many department stores have a food floor(s) at their basement and the combination of "department" and "basement" became a popular term. This represents a unique joint of western and Japanese words.

日本語への旅

2007年5月4日金曜日

電話


電話。おそらくこれほど時代の変化をリアルに映し出す言葉がないのではなかろうか。

日本の街の風景の一つには、色で分類された電話がある。街角に置かれた電話は、その色により、使い方も、掛けられる範囲も違う。二十年ほどまえは、百円硬貨を十円のそれに両替してもらって、それをピンク電話の上に堆く並べて真剣な表情で電話器を握るといった人の姿は、けっして映画のなかだけのものではなくて、実際にあっちこっちで見かけられた。そのうちグリーンの電話が誕生して、高級感の電話ボックスが駅前などに現われたときは、りっぱなものだと、そのころの人々がみんなそう思っていた。いつの間にかグレー電話が現われ、さらにあれこれの会社の、形も掛け方もさまざまなものが電話の一角を所狭しと並べられた。それとともに、携帯電話というものが生活のなかに大挙して入った。

いまや電話といえば携帯を指す、というところまでなった。その証拠に、これまでにはけっして聞きなれていなかった「固定電話」という言葉が生まれた。時の流れとともに、変わらない言葉をもってめまぐるしく変わる内容に当てるという、やや妙な言語現象をわたしたちは実際に体験している。

In Japan, public phones on the street have a number of types based on the calling ability and the way of payment, and they are indicated by different colors. Now, a cellphone becomes more and more popular, and it has almost taken over the use of the word "phone (denwa)"

電話コレクション

2007年5月3日木曜日

慣用表現の意味


この頃、いくつかのところで慣用表現の意味、さらに言えば使い方の正誤についての議論を聞いたり、読んだりした。しかもその場合、なぜか実例として引き出されるのは、「鳥肌がたつ」という表現だった。

たしかにこの表現は、恐怖や戦慄など、普通の価値判断で言えば不愉快な場面に直面するときの感じを伝えるものだと教わる。一方では、最近の会話や文章には、予想を超えた素晴らしいことに出会ったときの、感動の大きさを表わすものとして多くの人々がこれを意識的に用いる。そこで、言葉の意味に敏感で、伝統にこだわる人たちが、思わず「鳥肌がたつ」思いをしてしまう。

言葉の意味が刻々と変わる。それを意識しないでついつい順応してしまうものもあれば、どうしても引っかかって、言葉の現場では立ち止って考えてしまうものもある。その中で、過激な用例は、議論の対象となる。ただし、たいていの場合、そのような議論が言葉の用法にさほど影響がないことを付け加えたい。あえて言えば、言葉の変化のためには、ささやかな道しるべとなることで意味があるかもしれない。。

One may want to remember this expressing, literally means "having goosebumps", this is used to express some horrified feelings, and to the recent time, even refer to extreme excitement.

新日本語の現場

2007年5月2日水曜日

「デパガ」


放送を聴いたら、「デパガ」という言葉が耳に飛び込んできた。文脈的には中性的なもののようだけど、わたしの感覚には、なぜかどうしても品がよくないように聞こえてしまう。

いうまでもなく、「デパートガール」を短くしたものだ。外来語は、音を伝えることを基本とするため、どうしても長い。そして、他の言葉とのバランスが一つの大きな理由だろうかと思うが、実際の使用の中では、これを短くしてしまう。似たような例はいくらでも簡単にあげられる。「デジカメ」「パソコン」「コンビニ」「セクハラ」。英語の語感からすれば、よくもこれで意味が通じるものだと思われがちだが、日本語で用いられたそういった言葉の数が、全体の語彙では圧倒的に少ないがために、意味伝達に無理がなさそうだ。むしろ日本文化の特徴をここでも形にしようとするがごとく、一つの言葉を精一杯に短く詰める。まるでそこまで詰められなければ、つまらない、とでも感じているかのように。

「デパガ」には、一つの可笑しな思い出を持っている。大むかし、始めて日本で勉強したころのことだ。同じく留学生の一人がデパートに入れば、「日本はすごい、ここの人形はまるで本物のようだ」と言って、デパガを触ろうとしたのだった。幸いグループで行動していて、まわりの慌てた友人に止められて、騒ぎにならかった。考えてみれば、デパートに大勢の美しいガールたちを置くということ自体、世界広しと言えども、日本ぐらいしかないのだ。

While foreign words are used in Japanese, people tend to cut them to shorter forms, such as "depa-ga" for "department store girls".

和製外来語

2007年5月1日火曜日

日本一長い駅名


これは先月の新聞で読んだ話題だ。松江市にある一つの美術館の閉館に伴い、ローカル線の駅の名前が変わった、とのこと。その駅の名前は、日本一長いと言われる。そんなこともあるのかと、ちょっと興味を持った。

そこで調べてみると、ウィキペディアには駅の看板まで写真に載せてくれている。ぱっとみて、さすがに長い。そして親切にも時間付きで日本一を名乗っている。どうやら知る人ぞ知る、当地ではかなりの自慢の種だ。

そこで駅の名前をじっくり読んでみると、乱れた日本語表記の手本がここにありとの思いがした。日本語の駅名には、カタカナと漢字、英文字を混ぜ、名前と苗字を区切りするための中点を名前の間に使い、英語表記の省略点まで入れて、どうしても見づらい。さらに、英文字の「C」はどう発音すべきかと、そのヒントを求めてローマ字の行に目を移すと、それはさらにわけが分からない。名前と美術館の二つの言葉を英訳にしていながら、最後の単語だけはローマ字表記。このような書き方は、だれのためのものだろうか。日本語を熟知していて、かつ英語も分かる人でないと、おそらく間違いなく立ち往生してしまうことだろう。

わずか一つの駅名、日本語のかな/漢字とローマ字だけの二行の表記に過ぎない。せめて理屈の通った、普通の通行客に分かってもらえるような書き方ができないのだろうか。不思議を取り越して、あきれたぐらいだった。

It was told that this is the station with a longest name in Japan. However, the way of writing of the name combines a number of writing system and carries out a confused result.

美術館の閉館及びその原因について

2007年4月30日月曜日

外来語の言い換え


日本語では、外来語が乱用されているとの嘆き声が聞かれて久しい。それに対応しないと、と有識者も、政府機関も、教育関係者もみんなあの手この手の提案をする。その中でも、約一年前に「国立国語研究所外来語委員会」が纏めた「『外来語』言い換え提案」というのが一つの典型を示す。その提案は、「分かりにくい外来語を分かりやすくするための言葉遣いの工夫」との副題を持ち、約二百語の外来語を取り出して、丁寧に置き換えの言葉を並べた。いかにも学者たちの仕事らしく、使用調査などの基礎作業も怠らなかった。当時は新聞やニュースにもかなり取り上げられたと覚えている。その実際の提案、いまから読んでいてもとても楽しい。

二つの例を見てみよう。リストの一番目にあげられたのは、「アーカイブ」。西洋のシステムを取り入れながら、在来の資料あるいはその集め方とは異なる、との自己主張を伴う施設などは、この言葉を多用していると思われる。だが、ここでは「保存記録」あるいは「記録保存館」、さらに場合によっては「史料」「公文書館」「文書館」などもよし、との提案だった。同じリストの最後の一語は、「ワンストップ」。こちらのほうはさすがに日本語の言葉としてはぎこちないが、なにせこれによって表現される概念そのものは在来の日本語にはそぐわない。提案された言葉は、「一箇所」、あるいは「一箇所集中」、「窓口一元化」、「総合窓口」だった。もとの外来語以上に日本語らしくない、というのはわたしの偏見だろうか。

提案をリストを読んでいて、外来語のある言語生活への苦慮や対応の苦労が、滲んでるぐらい分かる。しかしながら、はたしてこのような提言は、状況を変えることに役立つのだろうか。

Many English or European words are using in Japanese. There is a serious concern to limit the use of such words, however, it seems that no solution has been found so far.

「外来語」言い換え提案

2007年4月29日日曜日

海外日本語


表題はわたしの造語だ。いまだ日本語にない術後だろう。実際に日本以外の国で生活してみれば、日本語の違う表情がやはり気になる。

海外で生活している人々が使っている日本語は、総じて丁寧だ。自分の表現が間違っていないのか、きちんと意味を伝えているのだろうか、ひいては時代遅れだと言われはしないかと、日本語と並ぶ別の言葉が生活のなかで交差している分、いろいろな形やレベルで神経を使う。だから、たいていの場合「海外日本語」は分かりやすい。

一方では、語彙や言い回しは「表現の鮮度に欠けている」ということは否めない。海外での生活が長くなればなるほど、古い言葉が混じり、ときにはまるで保存されるべき、表現の化石のようなものにまで出会って、時の流れを感じさせられる。

反対へのはみ出しも見られる。日本語には英語などの語彙を簡単に取り入れて、カタカナ言葉の形で貪欲に吸収している。そのような傾向にあって、とりわけ英語圏で生活している人々の日本語は、カタカナ言葉への傾斜が避けられない。日常の生活の中で、日本にない事象や考えに出会う、特定の日本語を用いれば不要な連想が持ち込まれる、交流の相手にも同様の理解がある、などなどの理由により、ついつい気軽に英語をカタカナに書き出して、日本語の文章にそっと忍ばせてしまう。

バンクーバー旅行の間に、なにげなく街角に置かれた日本語無料雑誌を手に取ってみれば、さっそくそのような実例が目に飛び込んできた。巻頭リポートの最初の数行を読んだだけで、「フェアトレードの商品」「ディテールのデザイン」「オリジナルのレーベル商品」「ダブルオーナー」と、日本語としては分かるようで分からない表現がずらりと並ぶ。日本ではない、英語圏での生活の雰囲気は、このようなところからすでに溢れているものだ。

もともと言葉は生きものだ。「海外日本語」だって、多彩な日本語のために楽しい色合いを加えていると考えよう。

While Japanese is used outside of Japan, there are meny elements that one is hard to find them otherwise. One of the characters is the use of English words without seeking for proper Japanese expressions.

外来語であそぼう

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